1.外見のカラーリングが似ている


 その日は天そよぐ風も穏やかで、青く澄んでいる空にはゆったりと白い雲が流れる――そんな日だった。
 特別に良い日でもなく、特別に悪い日でもない。そんな普通の日だったのだ。
 まだ人通りの少ない街の中を、青い色のマントをなびかせながら銀鎧姿の男……レスター・ルガーテも今日の天気と同じように、ゆっくりとした足取りで城へと向かっていた。
 朝の陽光をその身に受け、鎧だけではなく後ろで一つにまとめた銀の髪も、その光を受けて輝くようであった。
 本日の予定を考えながら、裏通りの見回りも兼ねて小道へと入ると……レスターは、不思議なものを発見した。
「……?」
 何か、魔力の流れのようなものを感じる。
 このあたりには、魔術師の工房のようなものはないはず――と記憶している。
 もっとも、レスター自身騎士であるため城内の勤めも長く、見回りにも城下町に出てくることはない。
 だが、ここで見過ごすのも自分の気持ちとしては気になるし、問題があれば対処しなくてはいけない。
 レスターは魔力の流れる方向を探しながら周囲を歩き回り、ようやく通路の行き止まりに魔力だまりを発見した。
「これは……!!」
 まだ小さい魔力だまりだが、この力は人間には十分強いものになる。
 いったん魔力を吸収し、神格魔術師のアニスに事の顛末や所在、今後の対策を相談した方がいいかもしれない。
 そう考えたレスターは、腰のポーチから紫色の宝珠を取り出すと、魔力だまりに向けてそれを放り投げた。
 床を転がりながら宝珠は淡い光を発し、魔力だまりを飲み込もうとする。
 これは魔力を一時的に吸収する物で、魔術師などがあらかじめ封入し、有事の際に補給代わりに使うこともある。
 この程度の魔力だまりなら安易に吸い込めるはず、だった。
 しかし、レスターの読み違いか何かの拒否反応か。宝珠はひときわ強い光を発した後、甲高い音を発して砕け散り、破片が宙を舞った。
 煌めく破片の中で、レスターは緋色の瞳を大きく見開き、魔力だまりが揺らめき、変貌していく様を垣間見ていた。
 レスターが見ている風景の一部が裂け、その中から紫紺の空間が広がってくる。
 魔物の類か、それとも空間が裂けているのか……詳しい事はレスターに分からなかったが、危険なことになったのは変わらない。
 レスターは再びポーチを探り、筒状のガラス瓶を2つ取り出して床に叩き付ける。
 黒い煙と赤い煙がゆっくりと空へ向かって立ちのぼっていく。
 黒い煙は、危険を示す色。そして赤い色は、魔術師を要請するための色。
 これを物見が捉えてくれれば、すぐに魔術師をここへ派遣するはずだ。
 そこまで考えたレスターだったが、その紫色の空間は急速に形を大きくして……レスターの身体を飲み込もうと強風を発して引き寄せる。
「ぬぅ……!」
 この場に留まるのは危険極まりない。レスターの頭でも警鐘が打ち鳴らされ、素早く離脱することを告げていた。
 だが、足に力を入れて踏ん張ろうともレスターの身体は徐々に石畳を滑り、謎の空間へと引き寄せられていく。
 煙を見つけたらしい通行人が、何事かと路地へ数人やってきたが、レスターは『来るんじゃない!』と鋭く叫んだ。
 その途端、レスターの身体はぽっかりと口を開けたような空間へと大きく引き寄せられた。
「……ここへ魔術師か騎士が来たら、陛下にこの空間の対処をレスターが進言したと、誰か――」
 そう伝えてほしい。
 願いは最後まで言い終わる間もなく、レスターの身体は空間の中へと吸い込まれた。
――アヤ……!
 空間の向こうで、仰天したままの人々の顔を見つめながら、レスターは己の婚約者であるリスピアの姫君の顔を思い出す。
 きっと、彼女ならこの顛末を【視る】ことができるだろう。
 陛下にも、きっとありのままを教えてくれるはずだ。
 だが……きっと、また泣かせてしまうのだろう。
 生きるという約束を、守れずすまない……。

意識が遠のく瞬間、レスターは胸が張り裂けるような辛さを感じていた。

 不死者の群れを、その巨大な斧で吹き飛ばす。
 澱んで悪臭を放つどす黒い血が銀の鎧に、乾いた砂地に飛び散り……その臭いと汚らしさに青年は眉間に深い皺を刻んだ。
 全身を覆うプレートメイルも、軽々と扱う巨大な斧も、それぞれ並の人間は重量に耐えきれないだろう。
 しかし、重さを感じさせず、片手で扱う程の膂力を持つこの青年――シルフィード・ディルゲージは、不死者の群れに突撃するように走り寄り、ルビーのような深い色の瞳で目標を捉え……身の丈以上はあろうかという斧を振りかぶる。
 地ごと両断するかのような、容赦のない一撃を食らった不死者は自身の左右に分かれる半身を認識できぬまま、地へと倒れた。
 しかし、相手は不死である。しばらくすれば、またその身は復元されるだろう。
「毎度毎度キリがねぇよな、まったくよぉ!」
 ぼやきながら中年の男性が短刀で不死者に斬り付ける。
 その肩に乗る蒼銀ネズミが、鼻先を虚空に突きだしながら『黙って働け、次が来るぞ』と叱咤する。
「このクソネズミ、てめえも黙ってろ!」
 罵り合いながらも周囲の敵を排除し、チッと舌打ちした。
「みんな、離れて……!  まとめて、吹き飛ばす!!」
 そう言った青年のエメラルドグリーンの長い髪が、ふわりと逆立つように揺れる。
 掌に、巨大な魔力が……風の力が集中していく。
 素早く青年の前から距離をとるシルフィードや仲間たち。
 だが、杖を持つ少女がハッと顔を上げる。
 膨大な力の集約に、何かの歪みが発生したのだろうか。

「――シルフィード!  足元……!」
 着地したシルフィードの足元に、紫色の空間が開く。
 素早くその場から飛び退ろうとする彼の身体を、空間が引き込んだ。
「くそっ、シルフィード!!」
 中年の男性が駆け寄り、彼に手を伸ばすが……シルフィードを飲み込んだ空間のようなものは、素早くその口を閉ざし、男性の手は空を切った。
「シルフィィィィドオォォォーーーーッ!!」

仲間の悲しみを含む叫びは、彼に届くことはなかった。
 遠くで、波の音が聞こえた。
 いや、遠くではない。意識が遠かっただけ。
 だんだんと意識が戻ってきて、ぴくりと指先が僅かに動いた。
 指先に伝わる砂粒の感覚が、自分の意識をはっきりと呼び起こし……レスターは目を開きかけたが、まぶしい陽光が目を刺す。すぐに瞳を閉じ、ゆっくりと、恐るおそるといった感じで開く。

 目の前に広がるのは、リスピアではないようだった。
「……ここは……」
 頭を押さえながら立ち上がり、記憶をたどる。
 そう、確かに、リスピアで歪みに吸い込まれた。そしてここは……どこなのか。
 ヴァッサーベルンだろうかと考えた時、後方で何かの気配がしたため、レスターは俊敏な動作で振り返る。
 敵が潜んでいる可能性を考えるのが少々遅れたようだ。
 そこには、全身を銀の鎧で覆った、銀髪の騎士。
 彼もまた、レスターを注意深く見つめていた。
 一歩でも踏み出せば、すぐさま斬りかかってくるかのような威圧感と、鋭い刃物のような眼差し。
 握られている身の丈近い斧は、次の獲物を待っているかのようだった。
「……!!」
 だが、レスターが驚いたのはそれではなく、彼の外見……特に目の色だった。
 赤い瞳は、魔族の証。ということは、これは魔族……あるいは――自分と同じような存在だろう。
「待ってくれ……わたしはリスピア王国、聖騎士レスター・ルガーテ。貴公、所属と名は……?」

 そう投げかけたレスターの言葉が通じないのだろうか。青年は微動だにせず、彼を見つめたままだ。
 戦うしかないのだろうか、そう考えたレスターも、クウェンレリックを出すか出すまいかと思案した矢先。

「……ロイシュトラ帝都、第一級竜騎士団長……シルフィード・ディルゲージだ」
 はっきりと、相手はレスターに認識できる言葉でそう告げた。
 お互い、相手の表情を見据えたまま……長い時間が過ぎたようにすら思える頃。
「リスピア王国とは、聞いたことがない名前だが……ここがそのリスピアか」
「いや、恐らくここはリスピアではない。そしてロイシュトラという帝都……も知らない。わたしはリスピア城へ向かう途中……時空の歪みに吸い込まれた」
「時空の……」
 シルフィードはレスターの言葉に、思い当たる節があったのだろう。押し黙って、何かを考えている素振りを見せた。
 このレスターという騎士は、虚偽を騙っているようではなさそうだが、信用するには確証がない。
 何より、他人を信じる、という行い――仲間のお陰である程度払拭されたが、今までの記憶は時折彼の心に暗い影をもたらせる。完全に取り払われたわけではない。
 だが、レスターは武器を取り出さない。武器を抜かぬなら、相手には戦う意思は今のところない――と認識した。
 シルフィードはゆっくり武器を下ろした。
 まだ警戒を解いたわけではないが、武器を握って威嚇する必要はないと考えたのだろう。
「……俺も、その歪みとやらに飲まれた可能性がある。不死者と交戦中に、突如発現した空間に引きずり込まれた」
 ここが異空間であるならば、の話だが……とシルフィードは告げて、周囲を見渡した。
 目の前には青く美しい海岸。清浄な気が満ちている。
「どうやら、互いに知らぬ土地へと飛ばされたか……何らかの幻覚か、だな」
「いや、幻覚ではないようだ……。手に触れた砂粒に魔力を通してみたが、視界が揺らぐわけでもなく、魔力は大気に拡散する」
 屈んで砂を一握り掴んだレスターは、シルフィードに語りかけながらゆっくりと手を緩め、掌を流れ落ちる砂を見つめる。
 風に流されながらも砂は再びあるべき場所に戻されて、レスターは掌を軽くはたくとシルフィードを見据えた。

「君の赤い瞳は、魔族……か?」
「魔族?  いや、よく見ろ。俺の肌は褐色ではない……神や世界に嫌気がさしたことはあるが」
 シルフィードは僅かに呆れたような口調で言い放つが、どうやらシルフィードの世界の魔族と、レスターの世界の魔族は種別が違うようだ。

「……そうか。わたしの世界で魔族は人間の敵と認識されている。赤い瞳を持ち、強欲な汚らしい敵として」
 そう言ったレスターは、僅かにその瞳を伏せた。
 自身もこの忌まれた瞳を持ちながら、魔族と戦い斬り伏せてきた。
 誤解は日常的にあり、嫌な思い出も数えるのを止めたほどにある。
 そんなレスターの気持ちが伝わったのか、あるいはどうでも良かったのか。シルフィードは構えを解くと、出口を探す必要があると告げた。

「――魔族だろうがなんであろうが、お前が敵でなければ関係ない」
 そうして背を向けたシルフィードに、レスターは微かに笑った。
「ありがとう。わたしをそうして何事も無く扱ったのは数える限りしかない」
 シルフィードの背を見つめて言葉を投げかけたレスターは、自分も出口を探す為に、シルフィードへと背を向ける。

「……ディルゲージ家の名を聞いて、眉ひとつ変えぬ人間も久しぶりに見た」
 もっとも、ロイシュトラ以外ではそうなのだろうとも付け加えていたが、その口ぶりは表情とは違って穏やかなものだった。
 背中にかけられた答えは、互いに何か深い事情を感じさせるものではあったのだが……きっと、もう会う事もないだろう。

レスターは東に、シルフィードは西へと、互いに進んでいった。