決められた未来

 気が付けば、自分の運命はいつでも勝手に決まっていたのだと、少女は思った。
 生まれてすぐ、男ではないと知った瞬間に、父親は自分を分家筋に養女へ出そうと考えていたらしい。
 分家ベルクラフトとこの本家……イリスクラフトという魔術師の家は、ずっと昔は良好な関係であったらしい。
 ただ、イリスクラフト家がクライヴェルグの王女を娶ってからというもの、両家の仲は一気に冷え込んだそうだ。
 ベルクラフトの長男が王女に熱を上げていたからだとか、イリスクラフトが惚れ薬を使用して王女を奪ったとか、噂か真実かもわからぬ誹謗中傷は色々とあったようだ。
 真実は良く知らない。いや、知りたくもない――という方が正しいのだろうか。
 そんな話はどこにでもある。特に貴族の間では、女が家の為に政略結婚させられることは当たり前のようなものだからだ。

 外から馬のいななきが聞こえたため、少女は意識をそちらへと向ける。
 耳を澄ますと、馬の蹄が地を鳴らす音が近づいてくる。一つではなく複数。
 それが屋敷の前で止まったので、誰が来たのだろうと窓辺に近づき、そっと階下を覗いてみた。
 屋敷の門の前には立派な黒馬が2匹繋がれている、大きな馬車が停まっていた。
 御者が踏み台を馬車のドアの前へと設置し、扉を開けると――煉瓦色の馬車から、金髪の少年が姿を見せた。
 くすみの無い金の髪と、まるで輝くように見える真白い服。
「…………」
 少女は、その少年の姿を確認すると、いつも何とも言えぬ気分になる。
 今日も、一人でやってきたようだった。いつからかは忘れたが、一月に数度、あの少年はここへやってくるようになっていた。
 そのうち乗馬の上達という名目でここに遠乗りしてくるかもしれないと笑っていたが、それも遠くないように少女には思えた。
 少女が見ているのに気が付いたのだろうか。少年は、踏み台を降りると顔を上げ、少女の立っている部屋を……いや、窓辺に立つ人間の姿をきっちりと捉えて見つめ返していた。
「…………!」
 目が合ったことに対し、少女は一瞬体を強張らせた。
 少年は軽く少女へ手を振ると、相手の返事は関係ないのだろう。そのまま門を開き玄関へと向かっていく。
 恐らくあの少年はそのまま兄の部屋に行くのだろう、と少女にも予想は出来たのだが、顔を出さぬわけにもいくまい。
 小さな息を吐きだし、窓辺からそっと離れる。

 少年の事を思うと、なんだか自分でもよく分からない気持ちになるのだ。
 来てほしくないというわけではない。かといって、来てほしいと……思えない。
 どうして彼が頻繁にこの家へやってくるのかすら、少女には理解しがたいものだった。
 そう思っていると、自分の部屋の扉が叩かれていた。
「シェリア。開けて」
 その声は、あの少年のものだ――シェリアと呼ばれた少女は、金の瞳を大きく見開き、ノックされた木製の扉を凝視する。

 あの扉の向こうに、少年がいる。
「シェリア……?」
 少女の名を呼ぶ少年の声に、怪訝そうな響きが混じる。
「――今、開けます」
 シェリアの発した声は、僅かに掠れていた。
 この扉は、通常の扉とは違って魔力を帯びており、鍵穴はない。つまり、開錠の魔法が無ければ開かない。
 あの少年は魔法を使わないので開錠の魔法を覚えていないからこの扉を開くことはできない。
 シェリアはそっとドアノブを握り、開錠の魔法を唱えて、ゆっくり扉を開けた。
 そこに立っていたのは、紛う方無きアルガレス帝国皇子、カイン・ラエルテ・アルガレスだった。

「……今日も窓から見ていたな」
 青い瞳を持つ少年……カインは、僅かに目を細めてシェリアに笑いかけた。
 カインにとって今の言葉は、何の嫌味も無かったのかもしれない。ただ、シェリアにとっては自分が何かの罪を犯したような気持ちすら覚え、恥ずべきことをしたのだと感じた。
「ごめんなさい……家の前に馬車が停まったから……つい」
 思わず顔を背け、シェリアは謝罪の言葉を口にしていた。
「別にいい。いつもの事だし多分見ているだろうと思っていたから、予想通りだった」

――いつも。

 シェリアは目を閉じて俯いた。
 確かに、いつも自分はここから覗いていた。
 初めて彼に会った日も。そして今日も。
「……そんなに毎回、カインの事ばかり見てない」
「見ている。覚えていないなら今度日記にでも書いておいたらいい。オレもちゃんと窓を確認しているから。いつもこの位置に立って、こうして――オレを見ていてくれる」
 カインは、シェリアが立っていた位置へとやってきて、先ほどシェリアがやったのと同じように窓の外を眺めはじめた。
「この位置だと、誰が来たのかよく見えるんだな。下だと樹が邪魔なんだ」
 ふぅん、と言いながら観察を続けるカインに、シェリアはますます罪悪感を募らせながら、どうしてと口にした。
「どうして……最初にこの部屋に?  兄様の部屋にはいかないの?」
「ラーズは今日は一日大事な勉強中だそうだから。他に行く所もないんだよ」
 当たり前のようにそう言って、窓辺から移動したカインは自身の腕を組んで壁にもたれかかった。
 一体いつの間に、兄の予定を聞いたのだろうか。シェリアはその疑問を言葉に出さぬまま、先ほどまで自分が使っていた椅子を手で示す。
「椅子、どうぞ」
「シェリアの座るところがなくなる」
 この部屋は一人分の椅子しかないからとカインは言いつつ、部屋の中を見渡した。
「オレがシェリアのベッドに座るわけにはいかないだろ」
「当たり前でしょ!?  何言ってるの!」
 カインが天蓋付きのベッドを指せば、恥ずかしさもあってシェリアは自分でもはっきり分かるほど大きな声を出していた。
 その声に驚いたのは、カインも同じだったようだ。
「そんなに嫌がらなくても、座ったりしない」
 嫌がって大声を出したわけでもないのだが、カインにはそう聞こえたようだった。
「…………私がベッドに座りますから、カインは椅子にどうぞ。今、お茶を持ってくるから……」
 このままでは気まずくなりそうだったので、シェリアはいったん場を離れることにしたようだった。
 何より、茶があれば無言でいる時間も、少しはましに思えたからだ。
 急ぎ足で部屋を出ていく背中には、カインの視線を感じる。

――そんなに見ないでほしい。
 落ち着かない気持ちで、シェリアは部屋を飛び出すように離れた。

「シェリア。カイン様はお前の部屋にいらっしゃるのか」
 ティーセットをトレーに入れて運ぶ準備をしていると、父親の声が背中に投げかけられた。
 一番今会いたくない人物に出会った。そんな気持ちを抱え、シェリアはゆっくりと振り返る。
 振り返らなくともそこにいる人物を間違えるわけはないけれど、入口にいたのは黒衣の魔術師。
 イリスクラフトの当主である自分の父親だった。
「父様……」
 獲物の匂いを嗅ぎ取った獣のように、イリスクラフトはしばしカインとのことを聞いてくる。
 僅かでも隙を見せれば、一気に仕留めるような牙を隠し持っているような恐ろしさ。
 シェリアは自分の父が、その野心が苦手でもあった。
「カイン様は挨拶もそこそこに、お前はいるかと訊ねていらっしゃった。実に良い事だ」
 何が良い事なのだろう。と、憤るわけでもなくシェリアは思う。
 父にとっては、カインが娘と一緒にいる事が喜ばしいらしい。
「たまたま兄様が勉強中であったからです。私とカイン様の仲が良いかは、わかりません」
「……もうお前も14になるだろう。カイン様もそろそろお年頃だ。いつでも準備はしておきなさい」
 何かを含めるような言い方に、シェリアは強い嫌悪を感じた。
 だが、それを努めて顔に出さないようにしながら、シェリアは瞼を閉じた。
「…………はい」
 拒絶できるような意志がシェリアにはなかった。ここで文句や不満を漏らしても、結果は変わらない。説教がない分、返事をした方がずっといいとさえ思ったのだ。
「よろしい。カイン様の気を害さないように、明るく振る舞いなさい」
 そう言うだけ言うと、父はすぐに自室へと戻るのだろう。踵を返し、部屋を出て行った。

 カインはシェリアにとって、婚約者の位置にある。
 正確に言えば、カインがベルクラフトへ養女に出されるシェリアを不憫に感じ、ここに置いてほしいと申し出たものだ。
 ただ、計算高い父はカインの許嫁としてならどうだろうと、幼かったカインに条件を提示し――カインはあっさりと了承した。
 その時もシェリアの意見は通らなかった。確かにシェリアが拒否できる立場ではなかったし、結果的に魔術を習う事も出来て、イリスクラフト家から離れずに済んだのだから、カインはシェリアにとって恩人ともいえる。
 今では互いの事を呼び捨てにするようにはなっていたが、艶っぽい話があったわけでもない。
 敬称を付けるとカインが嫌がったからつけるのをやめた、というだけである。
 父のせいでさらに胸中がモヤモヤしてしまった、と悲しい気持ちになりながら木の実が練り込まれた焼き菓子をいくつか皿に取り、トレーの上へと置いてシェリアはそれを部屋へと持っていく。
 階段を上る間も、何を話せばいいのかと話題を考えていた。

「――聴いてもらいたい話がある」
 茶を淹れて、しばらく他愛ない話を続けていると、カインが神妙な顔で切り出してきた。
「……なに?」
 その雰囲気がいつもと違うため、シェリアも声の調子をいつもより落とし、カインの顔をじっと見つめる。
 カインも同じようにシェリアを見つめて、こう伝えた。

「そろそろ、城へ来ないか」

 シェリアの瞳が、驚きに大きく見開かれる。
 まさか今日、そんな話をされるとは思わなかった。
 父がカインへ余計な事を吹き込み、示し合わせたのではないだろうか?  という考えがシェリアの頭をよぎる。
 もしかすると、兄にも話しておいたのかもしれない。だから、一日中部屋にいるのではないかとすら思えてきたのだ。
「…………今日はその話をしに、ここへ?」
「そうだ」
 恥ずかしがるでも緊張するでもなく、カインははっきりと肯定していた。
「城に来て、いろいろ覚えてもらいたいこともある。それに、互いの事はもっと少し深く知る必要がある」
 そこまで言ってから、カインは『世継ぎとか』と付け加えたので、シェリアは恐ろしい事でも言われたかのように肩を震わせた。
「そんなことっ……!」
 途中で止められたシェリアの言葉の続きを待つように、カインは何も言わないまま瞳を向けるだけだ。
「……もう、考えてるの?」
「当然、考えないといけない立場だ。子供も欲しいと思ってすぐ出来るものでもないと、父上も言っていた」
 そう言ったカインの表情は、なぜだか悲しげにも見えた。
 カインは一国を背負う責務を担う人物でもある。今からその重圧もあるのだろうか。
「結婚から先の事はあまり考えたことがないから……」
 否。考えるのに抵抗があっただけだと、シェリアは自分でも理解していた。
 カインはシェリアの言葉を聴き、やはりそうか、と肩をすくめる。
「薄々そうじゃないかとは思っていたが、改めて聞くと何と言っていいのか分からないな」
 カップを手にし、茶の香気を嗅ぐカインを見つめながら、シェリアは『だって』と口にした。
「カインが他に好きな人出来るかもしれないし」
 シェリアにとって結婚は愛し合う者同士が行うもので、その結果子供が出来るのだと思っているからだ。
 勿論そんな結婚ばかりではないのも知っている。
 自分の結婚が、自分の理想形ではないことも分かっている。
 それでもなお、恋愛結婚などという願望を抱いているのだ。
「……はぁ?」
 カインが妙な声を出してしまうほど、シェリアの回答は彼の想定外だったようだ。
 現にカインは眉間に深い皺を刻み、理解しがたいという顔で座ったままシェリアの顔を覗き込んでいた。
「本気でそんなくだらない事を?」
「くだらない事なんかじゃない!  好きな人が出来たら、その人と結婚したいって思うのは当然じゃないの?」
 シェリアはすぐに反論してきたが、カインは顎に手を当てて首を傾げた。
「感情はともかく約束は約束だ。仮に好きな人が出来たとして、それらは婚姻関係ではなくても構わないと思うが」
「…………そ、そうだけど……そうだけど、それは必要なの?」
 カインはますます、シェリアが何を言いたいのかが分からない様子で『んん?』と唸っていた。
「つまり、シェリアはオレに好きな女が出来たら、どうしてほしいんだ」
「その人と結婚したいから、婚約を破棄することもあるかなって……」
「わざわざ破談にしろと?  シェリアはアルガレス王家に恥をかかせたいのか?」
 流石にカインも気分を害したのか、バカなことを、と吐き捨てた。
 怒らせてしまったと感じたシェリアだったが、聞きたい事でもあったため謝ろうとは思わなかった。

「いいかシェリア。オレがあの時イリスクラフトと承諾したのは幼かったからだと思っているのかもしれないが、オレももう子供ではない。取捨選択は自分で出来る。感情だってきちんとある」
 椅子を鳴らして席を立ったカインは、テーブルを回り、シェリアの傍らへと立つと――シェリアの肩へ右手を置き、左手でシェリアの頬を包むと、顔を寄せ……自分のほうへと向かせる。
「婚約者と決まってすぐに相手の家へ連れていかれる女も多いと聞く。シェリアは、今までその手合いの話は聞かなかったか」
「……嫌という程、聞いた。今の私より幼い子が母になるような話も」
「ざらにある。現にオレも何度か誘いを受けた。閨に入ると女が待っていたりもした」
 そんな話はもちろんシェリアの耳には届いていない。まさか、カインは既に他の女性と夜を共にしたのだろうか。そんな懐疑心が首をもたげて、シェリアの胸中に広がった。
 たくさんの女性と接点があるのは分かっている。別に子供は一人の女性と作ることもない。
 だが、それを素直に納得できる気持ちにはなれず、怒りにも似たような気持ちさえ芽生えた。
「…………」
 言葉が出ず、シェリアはカインから視線を外し、押し黙る。
 そんなシェリアの表情を眺めていたカインは、シェリアの耳元で囁いた。
「心配するな。オレに興味がまるでないのかと思っていたが、嫉妬する程度には思われているんだな」
「嫉妬……?」
「話した瞬間、オレに裏切られたような顔をしてから、怒ったような顔になって押し黙ったままだ」
 何が楽しいのか、カインはシェリアの反応を確かめているようだった。
「心配するなとか嫉妬だとか言うけれどいい加減自意識過剰だと思わないの?  想像力が豊かで驚くわ」
「そう思うなら、いつまでも厭らしく自分の顔に触れているような、自意識過剰で汚らしい男の手を振り払ったらどうなんだ?  何をされるか分かったものじゃないだろう」
 つぅ、と親指がシェリアの唇を舐めるように滑り、指で顎を軽く掴まれる。
 確かにカインが言うように、振り払えばいいのだろう。
 だが、不思議と不快ではない。その感覚にも、シェリアは戸惑いを覚えていた。
 カインはその様子にいたく満足そうな顔をして目を細め、声色も良さそうに話を始めた。
「いろいろ聞いたぞ。魔術師になるにしても、ラーズとは違って攻撃ではなく補助や防御の魔法を専門的に学んでいるらしいな」
「……私には、攻撃の方より合っているようですから」
「オレが聞いたのは、違う理由だったな。オレが魔物退治で怪我をしたとき、シェリアは自分の父親に回復魔法を教えてくれと泣きながら頼み込んでいた――という内容だった」
 途端、今まで平静を装っていたシェリアの顔が朱に染まった。
 過去の話をされて恥ずかしい事もあったのだろうが、それ以上に隠しておきたい事だったのだろう。
「それは……覚えておけば、便利だったから……!  そうしたら、そっちが性に合っていて……」
「イリスクラフト一族は、万能なんだろう?  不得意はあまりないと伺っている」
 カインは落ち着かないシェリアの様子を実に楽しそうに眺め、顔をゆっくり近づけると認めたらどうなんだと囁く。 「自分の気持ちに気づかないようにしているのか?」
「……私は、将来が、決められているからそうして従っただけで……!」
「それなら、すぐに選べ。決められた運命とやらに従うしかないのか――自分の気持ちを受け入れるか」
 オレは随分待ったぞ、と言って、カインはシェリアの頬へと口づけを落とす。
 柔らかく熱い相手の唇の感触。触れられた箇所から熱くなるようで、シェリアは不思議な感覚に身震いした。
「やっと触れたと思ったら、随分可愛らしい反応を見せるんだな」
 カインはそのまま、シェリアの身体を抱き寄せる。
 初めて抱きしめた婚約者の身体は、思っていたよりもずっと心地よかった。
「女の身体は、柔らかいものだな……」
 思わずそんな感想を漏らしたカインに、シェリアは意外そうな反応を見せた。
「女の子……抱いたことはないの?」
「ない。興味は勿論あったが、可愛げのない女の顔が浮かんでくるから我慢した」
「私?」
「他にオレの前で可愛げなく振る舞う女がいると思うのか?  ――魔法を覚える事が出来るほど賢い癖に、びっくりするほど愚かしい」
「カイン……」
 カインを見つめ、不安げに揺らぐシェリアの黄金色の瞳。だが、薄く開かれた薔薇色の唇は、それ以上言葉を発しない。
「怖がることは何もない。多少乱暴に扱ったら許してくれ」
 オレも若いから、と言って――カインはシェリアの唇に、己の唇を重ねた。


 このお題【決められた未来】は、空耳様からお借りいたしました。

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