何もないより、ある方が良い


 翌日、杖村さんは学校を休んだ。欠席理由は風邪とのことだったけれど……多分、風邪の症状だとしても、本当はそうじゃない。
 クーヴェル神父の放った【呪い】にあてられたんだな、と直感的に感じる。
 昨日のことで、大病を患ったを負ったのではないかと気が気ではなかった。

 その心配も、翌日その彼女が学校に現れた事で杞憂に終わった。
「おはよう、来須さん」
 青白い顔を隠すように真っ白のマスクをつけて元気に挨拶してくれる杖村さんは、顔色以外いつもと変わらないように見える。
「杖村さん……! もう学校に来て大丈夫なの?!」
 私が声をかけると、杖村さんは、うんと頷いて弱々しい笑顔を見せた。
「熱はもう下がったから……一昨日、遊ぶ約束してたのに行けなくなっちゃってごめんね……?」
「え……?」
 絶句する私に代わり、フォルネウスが『私』として口を開く。
「気にしないで。自分の身体のほうを大事にしてね」
「うん、ありがとう!」
 そうして杖村さんはいつもの席――私の前に座って、鞄の中から教科書などを取り出して机の中へ移していく。
――行けなくてごめん、って……どういうことなの?
 私が悩み始めると、フォルネウスは那弦様、と声をかけてくる。
『あの子は、最早自分が独学で魔術を覚えたこと――誰かを傷つけたことも思い出せないでしょう』
 あの後、一体何があったのかは分からないけど、何かしらクーヴェル神父が手を打ってくれたようだ。
 もう彼女は誰も傷つけないし、傷つくこともないけれど……私と遊んだことは思い出さない。
 私はほっとした心持ちと、どこか悲しいような気持ちを抱えていた。

「杖村さん、今日登校してきたの。でも、少し話がかみ合わなくて……変な感じだった」
 家に戻ると、いつも通りクーヴェル神父とルイ神父が出迎えてくれて、私はおやつに差し出されたシュークリームを見つめながら、杖村さんの事を切り出した。
「フォルネウスが、もう魔術は使わないでしょうって教えてくれた……」
「ええ……彼女は、幼いながらに危険な思想を持っていましたからね。
あのまま大人になれば、世間を騒がせる存在になったでしょうが――ああいった目立ち方は困るのですよ」 
 シルバーフレームの眼鏡を指先で持ち上げながら、クーヴェル神父は肯定した。
「我々は大っぴらに活動できません。
もちろんしようと思えば幾らでも出来ます。が、【彼ら】に目をつけられたくはない。
そして……特に貴女が普通の女の子とは違う事を知られたくない。
現在わたしたちに味方する者は、いつ掌を返すかも分かりませんからね。
貴方も命に代えて那弦を守る、なんて約束などしないでしょう?」
 コップの中のフォルネウスへクーヴェル神父は顔を向け、穏やかにそう切り出した。
「フォルネウスは、そんな薄情じゃ……」
 私はつい彼(彼女かもしれない)を庇ったが、当のフォルネウスは私たちの話を聞いているはずなのに、スイスイと何事もなく水の中を泳ぎ、反応を返さない。
「ふふ、那弦がそう言うから、フォルネウスも本当のところを言い出せなくなって困っていますね。
大丈夫、それを責めたりはしません。
ただ、我々に背を向けた場合……二度と姿を見せなければ良いのですから『敵対しない事』とは、ある意味簡単なのですよ」
 穏やかに恐ろしい事を口にしたルイ神父は、涼しげな顔で紅茶のカップを持ち上げた。
 そうですねと相槌を打つクーヴェル神父もまた、まるで世間話をしているような態度で違和感がない。
「那弦の言うとおり……杖村叶絵には、記憶削除と改ざんを施しています。
貴女の事は、もはやただのクラスメイトという位置付けにしか過ぎません。
友人として絆を深める事も出来るかもしれませんが、深く関わらないほうが互いに身の為です」
「…………」
 クーヴェル神父の言葉は辛かった。
 でも、また今までと同じように接していたら私も杖村さんも、どちらかが危ない目に遭う。

――だからこれで、良かったんだ。

 彼女は『魔女だった』自分という大切なものを失くしてしまったかもしれない。
 今までとは違う大切な物を見つけるのか、それはまだわからない。
 けれど――彼女はもう、命を落とすほどの呪いを生み出すことも、受けることもないはず。
 そう理解していても胸はちくりと痛むし、私自身の心が納得できるまで、時間はかかるだろう。
 急に黙り込んだ私を見ていたルイ神父は椅子から立ち上がり、私の前で目線に合わせて屈んだ。
「……那弦。友人を失うのはとても悲しいことです」
 神父の目は綺麗な青色だったはずなのに、光の加減か、一瞬紫色に見えた気がした。
「僕も兄弟と呼べるような仲間を何度も失い、出会っては別れてを繰り返してきた。
でも、僕は貴女の……その笑顔を失いたくはない。
身勝手な思いであると自覚していますが、貴女を脅かすものがあるなら、僕は貴女に害を為す全てを排除します。
……例え、貴女が大事に想っている人が出来たとしても――あっ、男性だったら……それは嫌ですね」
 ルイ神父は自分自身の勝手な想像に眉を吊り上げ、少しばかり不機嫌そうな顔になる。
「私、ルイ神父とクーヴェル神父は大事に思っているけど……それはダメ?」
 そう尋ねてみると、元々あまり表情の変わらないクーヴェル神父はともかく、ルイ神父が一瞬無表情になった。
 けれど、じわじわとその相好が崩れていく。
 まるで、つぼみだった花がほころんでいくような――幼い私にも彼の背後に幾多もの花が咲き乱れていく様が見えるようだった。
「ああ……那弦、僕も貴女を愛していますよ。クーヴェル神父よりずっと大好きです」
 そうして私を抱きしめるルイ神父の腕は優しくて暖かい。
 大好きと言われるのは嬉しいけど、ルイ神父はすぐ抱きついてくるからなんだか恥ずかしい。
 そんな私たち(特にルイ神父)の様子を、とうに見慣れたクーヴェル神父は肩を竦め、素晴らしい家族愛ですねと揶揄する。
「クーヴェル神父も、那弦は好きでしょう?」
「はい。愛らしく思っていますけれど、そこまでの表現はしません」
 二人にそんな事を言われた私の方が恥ずかしくて、赤くなった顔を隠すように俯いた。
「那弦はとても可愛いですよ。目に入れても痛くないくらいに溺愛してます」
 しかし、私を抱きしめたままのルイ神父はそんな私の様子が分かるのか、クスリと笑って頭を撫でてくれた。
 
「出来るなら、平穏に暮らしてほしかった……しかし、僕らは非情にも那弦に聞いておかねばならない事があります」
 ルイ神父は私の頭を撫でる手を止めた。
「貴女自身感じている事かと思いますが……那弦の持つ力は、普通の人間が持つものではない。
貴女が持つ力……コントロールさえ覚えてしまえば、人の心を見、人ならざるものを感じる特殊な力なのです」
――人の心や、人じゃないものを感じる……?
「……でも、私は人の心なんて……」
「那弦は人の周囲に嫌な気配や、心地よい気配を感じる事はありますか?」
「うん……」
「力を鍛えていないからその程度ですが、コツさえ分かれば考えている事を読んだりできるでしょう。
もちろん、負荷があるでしょうから疲労は感じると思うけれど」
 そして、とクーヴェル神父も口を開く。
「貴女にはまだ、開花していない力がある。
非常に高い身体能力と……自らの手足のように悪魔を従え、動かせる能力です」
 クーヴェル神父がそう言いながら、コップの中で泳ぐフォルネウスを見つめる。
「仮の姿ですが、あのフォルネウスも悪魔です」
「クーヴェル神父……まだそれを打ち明けるのは早いのでは」
「早すぎることはありません。
現に【奴ら】は動き始めています」
「【奴ら】って……?」
私がそう尋ねると、ルイ神父は困ったように眉を寄せ、クーヴェル神父と私を交互に見て、ハァと息をついた。
「……貴女は、現在一部の魔物から命を狙われています。
そして、このままの生活を送っていくのに――それらを躱し続けることはできない。戦うか、隠れるか……しかありません」
 私は、何かに命を狙われている。
 いつか公園で知らない男に襲われたことも、その一端だとしたら……? そんな事を考えて、身体が恐ろしさに震えた。
「どうして私を……杖村さんも、そうだったのかな……?」
「それは……」
 すると、ルイ神父は悲しげに目を伏せ、唇を引き結んだ。
 けれど、その後をクーヴェル神父が継ぐ。
 
「貴女は、魔界のとある高貴な御方の娘だからです。
命を狙われている理由は、貴女が別の派閥にとって障害だから。
こうして人間界に逃げ延びたとて、生きている事が許されない。
貴女の息の根を止めるまでは執拗に魔物や手下を送り込んでくるでしょう」

「高貴な……?」
 今の話を到底信じられない――というのが正直なところだった。
 魔界の高貴な出自だとするなら、私という人間は――ううん、そうじゃない。
「私【人間】じゃ……ないの?」
「種族で言うならば半分人間であり、半分人間ではありませんね」
「……そんな……じゃあ、私は【何】なの……?」
 人間だと疑わなかったから、今まで酷いことを言われても耐えたし、人を傷つけたくないから怖いことや苦しいことも我慢したのに……。
 施設の子供達は、私のことを本当は人間ではないって知っていたから、傷つけようとしたのだろうか。
 私は一体何者なのか。そして誰なのだろう。
 ルイ神父達が私を保護したのは、その『高貴な方』の命令だろうか。
「那弦……」
 出自について衝撃を受けた私の肩を、ルイ神父の大きな手がそろそろと触れる。
「……私、どうしたらいいの」
 きっとここには私に必要なことが何かあるのだろう。
 クーヴェル神父に問いかけると、彼は一瞬だけ憐れむような目をしたが、それもすぐに消えた。
「【奴ら】に会わないよう、この教会から一歩も出ないで一生を終えるか……撃退できる力を付けるか、どちらかです。
どちらも過酷で、終わりは自らが死ぬ時まで。貴女はどちらの生を選びますか……?」
「そんなこと……」
 死ぬまでこの家にいるか、よく分からない【魔物】と戦って生きるか……私にはその二つしか選択肢がない。
「すぐに返事をしなくても構いません。
しかし、あまり猶予はありませんから、長くは待てない……一週間後に再び伺いましょう」
 よく考えるように、と言って私の頭を撫でてから、クーヴェル神父は聖書を取って部屋を出ていく。
 ルイ神父は申し訳ありません、と消えそうな声で私に謝罪した。
「言えずにいた事は……僕自身もいつ話して良いのか迷っていたからです。申し訳ない」
「親が高貴な出自、って……どんな人なの?」
「……」
 答えてはくれないようだ。
「いつか会うことになる?」
 すると、ルイ神父は沈痛な面持ちで額に指を当て、どう答えようかかなり迷っているようだった。
「……那弦……貴女が強くなったら、嫌でも両親の素性が分かる日が来る。
僕もいつか全てを話すと言いましたが……貴女が上級悪魔たちを倒せるようにならないと教えられません」
「私が誰かを知るのなら、戦って生きていく必要があって……戦わないって決めたら、教えてもらえないまま一生を終えるんでしょ」
「……おおよそ、そうなります」
 しかし、とルイ神父は私を自分の腕に抱きしめると頬を私の頭に寄せる。
「……戦わないままでも、戦って生きても。
僕は貴女を実の娘のように思っています。それだけは、今述べてあげられる真実です」
「……ありがとう、ルイ神父」
 信じてほしいというルイ神父の気持ちが、私にも伝わってくる。
 しがみつくように抱きしめ返すと、ルイ神父がありがとうというのが聞こえた。
「まだ日にちがある。どちらを選ぶかはゆっくり、考えて」
 私の背中をポンポンと軽く叩いて、名残惜しそうに体を離す。

 自分の部屋に戻った私は、一緒に連れてきたフォルネウス――もちろんコップごと持ってきた――に、どうしようと話しかけた。
「私、人間じゃないって……。
お化けみたいなやつと戦えるのかな……」
 しかし、フォルネウスは応じてくれない。
 水面でパクパクと口を開けては、空気の泡を作るだけだ。
「……喋ってくれないの?」
 青くて長い尻尾を揺らし、フォルネウスは何かを訴えているようにも見えるけれど、いつものように頭に響くような声は聞こえてこない。
「……あ。もしかして、おでこに付けないとだめなの?」
 私はそっと指先をコップに入れ、フォルネウスをすくい取ると、おでこに彼の胴体を触れさせた。
 ぬるりと冷ややかな感覚と共に、魚の姿は消え、私の身体の外側を見えないものが覆っていって――これがフォルネウスだと――分かる。
『魚の姿のままでは直接お話することができないのです。お許しを』
「いいの。こちらこそ気付けなかったから、今までたくさん話しかけていて……ごめんね」
『楽しかったですよ、那弦様のお話は』
 小さく笑うような声に、私も思わず微笑んでしまった。
 フォルネウスは私といつも一緒にいるから、大体のことは把握しているはずだ。
「神父達に、私が今日どんな事をしたとか、そういう事を教えたりするの?」
『ええ。貴女の保護を任されていますので、毎日御報告しています』
 毎日、家を出てから学校であった事などを報告されているのかな。
「じゃあ、神父達は私に何があったか知っていて、知らないふりをするの?」
『……少々語弊があります。
何があったか聞く事を……ルイ神父は毎日とても楽しみにしています。
貴女の口から話す事に意味があり、わたしは変わった事や気付いた事、危険性などの必要最低限の事しか報告していません』
「そうなんだ……」
 私の話を聞いてくれている神父達の和やかな雰囲気は、本当の事なんだ……。
 それを思うと、心が温かくなる。
「嬉しい」
『それは喜ばしいです』
 しかし、私は僅かな喜びに浸っている場合ではなかった事に気付き、フォルネウスに先ほどのことをどうしようかと相談した。
『それは那弦様がお決めになる事。
我々はその意志を聞いた神父より、最終的な決断が下されます』
「神父達は、フォルネウスより偉い人たちなの?」
『はい。素性は明かせませんが、我々とは比べ物にならない力量をお持ちです』
 それは――杖村さんを相手にしたクーヴェル神父を見ていたらなんとなくわかる。
 影から魔法が使える猫を出したり、片手を少し動かすだけで普通じゃない現象が起こっていた。
「私にも、あんな力があったりするの?」
『……分かりません』
「……そうよね」
 フォルネウスも、私の選択については関われないみたいだ。
『……那弦様。
もし、どちらの道を選ばれるにしろ……決めた事に耐え抜く覚悟が必要です。
戦って生き延びる道を選ばれた場合、旧知の仲でさえ殺し合わねばならないこともあり得ます。
この家から出ずに暮らす道を選ばれても、もしかすると人と同じ寿命を持っているとは限りません。
永い時間を過ごし、いつ死ぬとも分からない。
退屈と孤独と恐怖が常に付きまとうでしょう』
「孤独と恐怖は、慣れてたよ」
 私はそう口にしてから、でも、と続けて膝を抱えた。
「……でも、神父たちに優しくされた今から……孤独な日々に戻るのなんて嫌」
 どんな理由があっても、あの人たちは私を助けてくれた。
 高貴な方とやらの命令があったにしろ、私を守ってくれた。
 私も、何かできる事があって、神父たちに感謝したり力になれるなら――……。
「……決めるのは、怖いね」
『それも勇気です』
 私は暫く、フォルネウスと他愛のない会話をしながら自分がどうするかを考え――二日後、神父二人を前にして
自分の意見を口にした。

「私……殺されたくないし、家でじっとして恐怖に震えていたくない。自分の身は守れるくらい強くなって……戦う」
 それを聞いて、クーヴェル神父は静かに頷いたけれど、ルイ神父は本気ですかと眉を顰める。
「綺麗な髪や肌に傷が付きますよ」
「髪は生えてくるし、肌もできるだけ傷つかないように頑張る」
 決めなさいと言った割にはあまり賛成ではなさそうなルイ神父。
 クーヴェル神父は『辛いからやめるなんていう事は出来ませんからね』と念押ししたので、絶対にやりきると決意を口にした。
「結構。では那弦、貴女を自力で戦える程度に今後毎日鍛え上げます。
わたしの訓練はとても厳しいです。泣いても止めませんから、覚悟して下さい」
「わかった……」

 翌日から、本当に様々な訓練や精神鍛錬を開始したのだけど、辛い、という言葉一括りでは語れないほどに過酷だった。
 筋力を高め、持久力をつけ、瞬発力や跳躍力も必要とされた。
 毎晩ヘトヘトになってベッドに入る生活だったけど、自分の身体に何らかの変調が出始めた頃からは、鍛えられた能力を隠す事も必要になった。
 なぜなら体育の時間に、助走もなしで2メートル近くを飛べる小学生なんていないから。
 身体の鍛錬だけではなく、座学もすることになって、魔物――いわゆる西洋の妖精から悪霊、日本の妖怪、中国の魔物など、覚えることも多岐に渡る。
 そればかりか、日本の組織……日本は日本で、目に見えぬ物から国民を守る組織が複数あることも、海外の組織が参入していることも学んだ。
 詰め込むことが一杯で、確かに泣きそうになった事もある。
 けれど、いつか言われた言葉通り、クーヴェル神父もルイ神父も鍛錬中は私を厳しく指導する。
 その甲斐あって――私が高校に上がろうかという頃には、一人で簡単な敵を相手に出来るようになっていた。


 そこから先……現在に至るまで、徐々に戦うことが多くなっていった。
 悪魔と形容できる物もあれば、妖怪のような物もあり、実態がないものもある。
 私に襲いかかってくるのであれば容赦なく倒す非情さも手に入れて、今日も私は生き延びている。

 このお題【何もないより、ある方が良い】は、bit start様よりお借りいたしました。

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