人は悲しいほどに愚かで純粋で


 学校に通い始めて二週間ほどが過ぎた。
 最初は通うのさえ怖かった学校だったが、私が外国人のハーフと言うことは知られている以外、取り立てて大きな注目を受けることもなかった。
(ルイ神父たちが何者かはわからないけれど、国籍ではルイ神父がフランス人、クーヴェル神父がルーマニア人ということだそうだ)
 母親のことを何度か聞かれることはあったが、母親は海外で働いている事を――私を守っているあのお魚が私の代わりに喋っており、何度もひやひやした事はある。
 しかし、写真を見せろという問いには『どこから国同士に問題が起こるかわからないから、顔や名前を絶対に教えてはいけないと教えられている』とも言っていた。
 それで納得する子もいるし、当然私を嘘つき呼ばわりする子もいたが、私を守ってくれるお魚は強かった。
「嘘だと思ってもかまわないけど私が誘拐されたり死んだりしたら、あなたのおうちに責任取ってもらうわよ。
怖い人たちに連れて行かれるし、国同士の問題にもなるんだから、大変なお金が必要になるわよ。用意できる?」
 そう言うと、威勢良く言ってきた子たちはたいてい尻込みしてしまう。
 中には親を連れて教会へわざわざやってきて、私が嘘をついているのではないかと疑ってきた子もいたが――ルイ神父がにこやかに応対し、彼女とその母親は顔を赤くして帰って行った。
――それからというもの、ルイ神父見たさに私の家に行きたいという女の子たちが多くなった、のは誤算だと思う。
「私のおうち、宗教やってるから。ごめんなさいね」
 何度もそうしてやんわり断ってきたけれど、ちょっと面倒くさい。
 
 そういった学校で起こった話をルイ神父に話すと、どことなく嬉しそうだった。
 指をコップの中の水につけながら、私はルイ神父を振り返る。
 何もいなかったはずのコップの中には、私が指をつけた瞬間からお魚が現れ、水中で身を翻すと指にヒレが触れた。
 あのお魚は不思議と、このコップに指をつけないと姿を見せない。途中で私から離れることはない。
 同化してるときに名前を尋ねたら『フォルネウスと申します』と教えてくれたので、かっこいい名前ねと褒めると、それきり返答はなかった。
 でも、嫌な沈黙ではなかったから、拒絶の意味ではないと思いたい。
「どうして笑っているの? 私、大変だったんだから」
「どうしてって……貴女が他愛ない事で笑い、拗ね、怒ってくれる。
そうして僕らを信頼してくれることが、とても嬉しいのですよ」
「……」
 それは、私も同じだった。
 ルイ神父とクーヴェル神父は、心身共に苦しんでいた私を助けてくれたのだ。
 彼らが誰であろうと、どんな目的があろうと……それで私は生きていられる。
「……ねえ、ルイ神父……」
「はい?」
「…………あの……」
 あなたたちは、いったい何者なのか。私をどうして育ててくれるのか。その目的や、両親のこと。
 聞きたいことはたくさんあった。しかし、それを聞いてしまって良いものなのか。
 聞いてしまったら、もう神父たちは今まで通りでいてはくれなくなるのでは?
 そんな不安が胸に広がり、私はスカートを握りしめ、俯いてフローリングの床板を見つめながら言うか言うまいか悩んでいた。
 煮え切らない態度に、何かを感じ取ったらしいルイ神父は困ったような声で私の名を呼ぶ。
「――那弦。貴女が何を尋ねたいかは……おおむね理解しています。
それを告げるのは簡単なことではありません。貴女は賢いけれどまだ幼い。
心で違うと分かっていても、頭では理解しづらいことも多い。その逆もあります。
いずれ、貴女にどうするか選んでもらわなければならないときが来ます。その時まで……待っていただけますか」
「……必ず話してくれる?」
「もちろん。大事なことですから忘れません」
 にこりと優しくルイ神父は微笑んでくれたので、私もその笑顔の下には清い意思があるのだと信じることにした。
「わかったわ」
「ありがとう、那弦……そうだ、冷蔵庫にケーキが入っていますよ。おやつにしましょう」
 ルイ神父は料理が上手だ。食事だけではなく、お菓子も自分で作ってしまう。
 しかも、驚くべきはその腕前で、その辺のお店で買うよりも美味しく、私の好みで作られているから外でお菓子を買う理由がない。
「私、ルイ神父のお菓子、美味しいから好きよ」
「ありがとう。さぁ、手を洗ってきなさい。クーヴェル神父がいましたら、彼も誘ってあげて」
「はーい」
 そうして何事もなく洗面所に向かう私だったけれど、クーヴェル神父は廊下にも洗面所にもいないだろう。
 
 なぜなら、姿は見えないけれど……クーヴェル神父のにおい――気配というやつだろう――が、今私とすれ違っていったから。
 私や誰かに見られないために姿を消す必要があるのだろう。
 以前から何度もこういうことがあるから、私も不思議に思わないことにしている。
 そして、洗面台に行く私の耳に、ルイ神父の声が聞こえる。きっと、クーヴェル神父と何か話をしているのだと思う。
 二人が私を抜きにして、何か話し合ったりすることをずるいとは思ったりしない。
 でも、今の私に言えないことというのは――きっとものすごく恐ろしいことなのだろうなと、そう感じた。


「来須さん。学校が終わったら、近くの森に行かない?」
 翌日。杖村さんが次の授業前の休み時間に、私を遊びに誘ってくれた。
「森? 私たちだけで遊んでいたら、危ないんじゃない?」
「大丈夫。公園施設の中にあるから。周りに大人も子供もいるから安心して。
それに、あたし一度も危ない目に遭ったことなんかないもん」
 引っ越してきたばかりの私は、このあたりの地理に全然明るくない。だから、杖村さんがいう公園がどこにあるのかも分からない。
 けれど、同じクラスの子が気軽に声をかけてくれることは、今まで孤独だった私にとってすごく嬉しいことだった。
 少し不安はあったけれど、彼女の誘いに抗いがたい魅力を感じたのも事実で、私は遊ぶことを承諾した。
『那弦さま。この子供と一緒に遊ぶことは、クーヴェル神父は許可しないと思いますよ』
 私と一緒にいるフォルネウスが注意を促してくるのだが、ごめんね、神父に内緒にしてほしいと心で謝ったところで、授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 このお題【人は悲しいほどに愚かで純粋で】は、Regulus様よりお借りいたしました。

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