どこまで君を信じていいの


 新しい生活にも慣れてきた私は、城戸浜の学校に通うように手続きをしてもらった。
 神父様達からは『私を知る人は絶対にいないから大丈夫』だと言われている。
 けれど、やはり登校初日の言いようのない不安は拭い去れなかった。

 しかし、学校に来てみると――転校生という物珍しさ以外では、私を不審な目で見る教師や生徒は居ない。
 私の狭い世界で見知った顔など当然ありはしなかった。
 自分を虐げた人間にいて欲しいと思うはずもなく……嬉しい、と心の中に湧いてくる喜びを噛み締めていた時、前の席にいた女の子が振り返る。
 鳶色の瞳が私を映し、視線が絡みあうと、相手の女の子――たぶん私と同い年なんだけれど――は、羞じらいつつも可憐な笑みを向けてきた。
「こんにちは、くる……す、さん」
 先程担任の先生が、教壇の前で私を【来須 那弦(くるす なつる)】そう呼んで紹介した。
 もっとも……来須という名字はルイ神父がつけてくれたもので、海外に行っても呼びやすい名字ですよと冗談を言っていたのを思い出す。
 ルイ神父のことはともかく、私も――そして恐らくこの少女も合わせた全員が私を『来須那弦』であるとなんの疑いも持たず認識しているわけだ。
「こんにちは」
 既に出席を取る前、全員に向けた挨拶を行っていた。
 改めて挨拶を交わすのは変な感じだったけれど、相手なりに気を回してくれたのかもしれない。
「あたし、杖村 叶永(つえむら かなえ)っていうの」
 名札を指で挟んでこちらへ見えるように向けつつ自己紹介してくれた杖村さんは、椅子をこちらへ引いて距離を縮める。
 ふわりと緩やかな天然パーマの髪が揺れ、首の付け根に小さくて黒い痣のようなものが見えた気がした。
 と、杖村さんは私を興味ありげに見つめ、どこから転校してきたのか、と尋ねてきたではないか。
 瞬間、私の心臓は大きく跳ね、言葉に詰まった。
 聞かれるような事だったのに、考えていなかったから。
 なんて答えたら良いだろうか? そう思っていると、私の身体に何かが纏わり付いた、という感じがあった。
 寒気に近い感覚が肌の表面を覆うように広がり、驚いた私が咄嗟に口を開くと、ぬるりと口の中に『何か』が入り込んできた。
「――お父さんの仕事の都合で、海外……イタリアっていう国から転校してきたの。
色んな場所を転々としてるから、私も覚えきれてなくて」
 私じゃない『私』が、勝手に現実と違う事を喋り始めて、聞いていた杖村さんは凄いと私よりも驚いた声を上げた。
「大変だね~! でも、かっこいい!」
「かっこよくなんかないわ。慣れた頃に転校だから大変なの」
 次々に杖村さんは私に家族構成やどんなことをしていたのかという質問を続けるが、『私』は言い淀む事なく杖村さんへ返し続けている。
――なんなのかしら、これ。
 確かに施設を転々としたけれど。私は海外になんて多分一度も行ったことがない。
 違う、と訂正しようと口を開いても、自分の意思で声が出せなかった。
「来須さんのお父さん何してる人?」
「神父。鴉沢からすざわの教会にいるわ」

 お父さん。

 両親のことなんて、私には分からない。
 鴉沢の教会というのは私が住んでいる場所で、そこにはルイ神父とクーヴェル神父も一緒に住んでいる。
 だとすると、この二人が私のお父さんになる――といっても、最終決定権はルイ神父にあるので、ルイ神父が家長、いわゆるお父さん……だろうと思う。
「お母さんは?」
「王様の秘書みたいな事してるの。どこの王様かは分からないけど」
 これもまた杖村さんは言葉もないほど驚き、来須さんちは凄い家だね、と、数秒置いた後で感嘆の息と共に告げた。
 既に大嘘つきに成り下がってしまったというのに、写真を見せろと言われたらどうする気なのか。こんなことを勝手に話す口なんか要らない。そう思ったときだ。
『那弦さま、お許しください。貴女様を悪意から守るのが自分の役目なのです』
――自分の頭の中で、男とも女ともつかぬ声が、そう謝罪するのを聞いた。
 何? あなたは誰? そう尋ねても、返事はない。
 その後、杖村さんと何を話したのかは覚えていないけれど、それは全て私の代わりをしてくれている誰かが、やってくれていた。


 今日の授業が終わると、私は鞄を掴み、急いで教会へと戻った。
 確か今日は、講話があるそうだからルイ神父はもう家の中にいないかもしれない。
 教会には極力出入りをして欲しくないと言っていたのを覚えていたので、私はここに来た一度だけ……あれきり教会内へ踏み入れたことはない。
 毎日、建物の側面にあるクリーム色の扉――こちらが住居用――を使用している。
「ただいま……」
 もう声は出るようだ。それを嬉しいとか普通だと思う間もなく、どたどたと足音を響かせながら廊下を乱暴に走って居間へと向かう。
「那弦、廊下は静かに――」
「クーヴェル神父。私に何か取り憑いてる!! やっぱり私に、悪いおばけが……!」
 お小言を遮り、私はクーヴェル神父に学校で起きたことを話した。
 自分の口が勝手に何を言ったのか、どんな嘘をついたのか。
 クーヴェル神父は私の言葉を最後まで黙って聞いてくれた後、なるほどと頷きながら呟いた。
「那弦に悪霊が憑いて、なおかつ嘘をついたが、謝ってきた……と?」
「そう……なんだけど……」
 クーヴェル神父は全く驚いたそぶりも見せず、私の額にそっと指先を乗せた。
「悪霊は貴女に憑いていませんよ。姿の見えない護衛をつけただけです」
「護衛?」
 すっとクーヴェル神父が指を離すと同時に、私から目に見えない薄皮のような物が剥がされていくのを感じる。
「ええ。貴女が答えられないことや過去の生活に関わること。
人の好奇心は、何事も容赦なく抉ります。護衛が動いたのなら、貴女は少なからず危機を脱した……ということでは」
「……うん……でも、王様の秘書は絶対ウソだって思われるよ……」
「本当だと思わせれば良いでしょう。心配は要りません」
 クーヴェル神父は、水がたっぷり入ったグラスをテーブルの上へと置き、その中へ私に触れた指を突っ込む。
 すると、中に何にもなかったはずだったのに、一匹の小魚が現われて、狭いコップの中を回遊するように泳ぎ始めた。
「……えっ? 手品?」
「那弦の護衛ですよ。今後学校から帰ったら、忘れないように水の中に入れてあげてください。
お風呂の中では熱すぎて弱ってしまいますから」
 全身水色で、ヒレの一部が長い。見たこともない小魚は、私が近づくとガラス面に身を寄せるようにして、ぱくぱくと口を開閉させている。
 このお魚が、どうやって私を守るというのだろう? お魚が水から揚ったら死んでしまうのでは……。
「……クーヴェル神父の言うことが本当なら、守ってくれてありがとうね」
 爪の先でグラスを軽く叩くと、小魚はくるりとグラスの中を一周した。
「嘘なんてついていませんよ。わたしたちは正直者ですから」
 そろそろ教会に行くらしい。聖書を手に取って、居間を出ようとするクーヴェル神父は『そうだ』と言って動きを止めた。
「那弦。貴女に家族のことを聞いた少女の名前は? どんな外見の子供ですか?」
「杖村叶永さん。外見は……長い黒髪の、きつくない天然パーマがふわふわな……女の子」
「身体の何処かに、不思議な痣はありましたか?」
「首筋に、痣があった気はするけど……ほくろかもしれない」
 すると、クーヴェル神父の目はすぅっと細められ、僅かに浮かんでいた表情は消える。
「……そうですか。わかりました……今日、わたしは少々野暮用で出かけますから、帰りが遅くなります。
ルイ神父は家に居ると思いますが、ご迷惑をかけずに良い子にしているのですよ」
「わかった……いってらっしゃい」
 神父の背を見つめながら軽く手を振って送り出すと、扉が閉まる。
 どこに行くのかはあまり興味はないけど、杖村さんのことを聞いたクーヴェル神父は、ちょっとだけ怖かった。
「……杖村さん、いい人だったけどなぁ……」
 神父達も、私の事には過敏なところがある。気にしてくれるのは嬉しいけれど、時として相手を傷つけることになるんじゃないだろうか。
 小魚――彼というか彼女というか――に同意を求めるような視線を送っても何も喋ってくれず、尾びれを揺らして泳いでいるだけだった。

 このお題【どこまで君を信じていいの】は、Regulus様よりお借りいたしました。

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