私には、さよならと言ってさよならと返してくれる人はいないの

 人通りの多い商店街を歩きつつ、八百屋や肉屋といった食料品店に数回立ち寄りながらも、私は神父たちの『教会』へと着実に近づいて行く。
 何度か『疲れましたか?』と聞かれたけれど、その度に私は首を横に振って大丈夫という旨を伝えた。
 いくつか小さな橋を越え、閑静な住宅地を抜けていった先で、ルイ神父はもうすぐ着くと教えてくれる。
「こんにちは」
 道すがら、神父たちはすれ違う人に声をかけたが、皆迷惑そうにしつつも神父たちが海外の人だからか、会釈をしてそそくさと去っていく。
 無視されないだけまだ良いのか、いっそ無視してくれたらいいのか……判断が難しい。
 しかし2人とも挨拶を返されなくても気にしていない様子だし、もしかしたら――毎日の習慣と化しているのかもしれない。
 でも、この怖そうな神父も挨拶するのだろうか。
 そう思ってクーヴェル神父を仰ぎ見ると、私の視線を感じたらしく、彼も顔をこちらに向け、どうかしましたかと聞いてきた。
「……挨拶、毎日……するの?」
 質問自体がおかしかったのだろう。
 クーヴェル神父はしばし私を無感情のまま眺めてから、ええ、と頷く。
「挨拶は基本かつ大事なものです」
 そう言って、再び前を向く神父。
 挨拶が大事なことだというなら――私には、その『大事なこと』を返してくれる相手もいなければ、自分もしてこなかった。
「……大丈夫です。貴女は、今日から生まれ変わる……いえ、ようやく生まれたのです」
 クーヴェル神父は前を向いたままそう独り言のように告げ、買い物袋を持ち直したルイ神父も嬉しそうに頷いている。
 生まれ変わる、という実感はないし、彼らを信じていいのかも私には分からない。
 でも、施設とは違い、私を人間として扱ってくれる。
 それだけの事が、ありがたいとすら思えるくらい、私は蔑ろにされていたようだ。
「……着きました。ここですよ」
 クーヴェル神父が白い建物の前で立ち止まり、再び私のほうを振り返ると、今度は屈んで小さな私と目線を同じ位にする。
 眼鏡の下の蒼い瞳は、やはり感情を映しそうにない。
 じっと見ているのがなんだか気まずくて、私は彼ではなく建物に目をやった。
 シンプルモダン……と評するのか、この建物は真っ白い壁が印象的な四角い二階建ての家だった。
 屋根というのは、左右に傾きがあるのが普通だと思っていたけれど、この教会の屋根は……右の片側にしか傾きがない。
 建物の上部には教会を示す、シンプルな木製の十字架が嵌っている。
 教会へ続く扉は、そんな無機質に見える雰囲気を幾分和らげるかのように感じさせる。
 しかも、非常に新しいような――じっと教会の扉を見つめる私に、ルイ神父は安心して下さいと微笑む。
「貴女は教会の仕事を手伝う必要はありません。自由に、暮らして構わないのです」
 そう言ってくれたものの【自由】とは一体なんだろうか。
 私のやりたかった事なんか、人に理由なく虐げられない生活を送りたいだけだ。
「今は見つからなくても構いません。ただ、貴女はこうして来てくれた。僕らはそれがとても嬉しい」
 ルイ神父は屈託ない笑みを浮かべ、教会の扉を押して開く。
 薄暗いかと思われた教会の内部は……数セットの長椅子が手前に並び、奥にはオルガンと小さな祭壇がある。
 フローリングのように板を張り合わせた通路には、絨毯と呼ぶには厚みの足りない布地が敷かれており、そのおかげか多少の特別感が漂っていた。
 天井は思ったよりも高く、窮屈な感じはしなかったけれど、全体的に良く言えば神聖で、悪く言えば……殺風景だった。
 今は礼拝時間でもないようだから、私たちの他には誰もいない。
「特定の曜日の特定の時間に、礼拝に来る者が集まります。
貴女がもしこの礼拝室に来た場合、口を開く必要も、会釈する必要も一切ありません。
教会業務に関わる必要もないので、貴女には後で住居用の出入口を改めて教えますから、そこから出入りするとよいでしょう」
 クーヴェル神父は私にそう教えてくれると、ルイ神父に視線を送る。
 私の怪訝そうな顔を伺うルイ神父は、すみませんと苦笑した。
「なんといいますか……教会というか、宗教家はいろいろとデリケートです。
外部に理解が得られない事はよくある事ですが、内部も様々入り組んでいるのです」
 つまり、関わりは極力避けて欲しいようだ。
 教会の中にはまだ入った事が無かったから、どんなことがあるのかは分からなかった私だけれど、お願いされたならととりあえず了承した。
 先に歩いて行ったクーヴェル神父が祭壇横の扉に手を触れると、黒い扉は横にスライドして開き、更に奥へと続く通路が現れた。
「この奥が、住居として使っている場所です」
 取っ手のついていない扉は、手をかざさないと開かないのだろうか。
 人が1人通れる程度の狭い通路は、足元に常夜灯のように小さい明かりがポツポツと一定間隔毎にある以外、天井などには明かりがない。
「暗い……」
 私がそう呟くと、ルイ神父はすっと手を握ってくれて、私の前を歩きだす。
「大丈夫。足元には物を置いていませんし、不潔にもしていないから虫はいないよ。
ゆっくり進むから、安心してついておいで」
 言われるがまま、私はルイ神父の温かい手を縋るようにしっかり握って、慎重に一歩一歩進んでいく。
 その間、ルイ神父は微笑をたたえて私を見守りながらゆっくりと進んでくれた。
 暗い通路を右に曲がり、再び扉……なのか壁なのか判別のつかない、一目見れば行き止まりだと錯覚する箇所へ来ると、再びクーヴェル神父が手をかざす。

 一瞬、彼の手を青白い(もや)が覆うようにして揺らいだ――ように見えて、私はどきりとした。
「どうかしましたか……?」
 ルイ神父が、私の手に力が篭ったのを不思議に感じたのか、私の視線をたどり、同じようにクーヴェル神父の手を見つめる。
 そこには、先程のように扉を開けたクーヴェル神父しかおらず、かざしていた手の靄は瞬きの間に消えていた。
 ルイ神父にも見えていないようだから、もしかしたら……私の気のせいだったのかもしれない、と思う事にした。
 外と中の広さは、教会部分で手一杯かと思いきやこの教会兼住宅というか、教会付き住宅というか……住居スペースは想像以上に広い。
 そして、家具も童話に出てくる王家か、中世貴族が使うのではないかと思うくらい素晴らしいアンティーク家具で揃えられている。
「……すごい。お姫様みたい」
「みたい、ではなく、貴女は我々の姫のようなものです。気に入るか分かりませんでしたが、貴女に使っていただけるよう一流の物を揃えました」
 クーヴェル神父が部屋を見渡した後、私の様子を観察するようにして向き直るが、気に入るかどうかよりも先に気になる事を口にした。
「私の? 神父様達のじゃないの?」
 すると、ルイ神父は貴女のです、と微笑む。
「僕たちにも部屋はありますが、居間と貴女用のお部屋はこのような家具で揃えました」
「どうして? 私が来なかったら、こんな凄いものが無駄になったんじゃないの?」
 すると、神父2人は顔を見合わせて、そうかもしれないと初めて感じたようにしみじみと語る。
「……貴女はきっと来てくださると信じていたし、僕らも貴女をずっと探していた。
だから、無駄になるとか、徒労になるとは思ってもいませんでした」
 施設担当者の態度を見れば、確かに無駄足にはならなかったようだけれど、考え無かったというのは凄い。
「……どうして、私だったの?」
 他にも、孤児はいるはずだ。
 その問いに、ルイ神父は悲しげに眉根を寄せて、私の前に屈み込んだ。
「まだ幼い貴女に全てを話すには、理解できないでしょうから時間がかかります。
ですが、貴女でなければ、僕らも探さなかった。
決して興味本位やお金儲け、または実験などの為ではない事はない分かって欲しい」
「…………うん」
 私が承諾すると、ルイ神父も穏やかな表情を浮かべてくれた。
「ようこそ、貴女と僕らの新居へ。
今日から、僕らはともに暮らす家族です」
「……? 神父様達の住んでた家でしょ? 誰かに電話、していたでしょう?」
「僕らも、ここは初めて住む土地です。下見はしていましたが、先程連絡したのは……ええ。仲間と言いますか、同志と言いますか」
「……初めて? さっき、挨拶していたのは」
「知らない方です。これから知るかもしれませんが、我々にはこんにちはもさようならも、挨拶を返してくださる方はおりません」
 初めて会う人と、初めて住む土地の新居で家族同然に暮らす、と、この神父様達は言うのだ。
 クーヴェル神父は当たり前のように話すけれど、私には何一つ理解の範疇になかった。

 このお題【私には、さよならと言ってさよならと返してくれる人はいないの】は、蒼灰十字様よりお借りいたしました。

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