とある朝の出来事

 ※本編最終話の後日談の内容も含みますが、本編を読んでいなくとも割と大丈夫だと思います。

 ここはエルティアという世界にある国の一つ、リスピア。
 豊かな水と緑に囲まれ、気美しくも凛々しい女王の統治する国だ。
 その国で、最高峰と呼ばれる称号『神格騎士』に、史上最年少で到達したという青年がいる。
 卓越した才能を持っている、煤色(すすいろ)の髪をした青年……ヒューバートは、
 その実力を存分に発揮すべく女王の護衛、諜報、練兵などを任されている……と言えば聞こえはいいのだが、
 ある意味便利にこき使われているパシリのようなところもある。
 そのため、というわけではないが……日課である朝の修練の指揮もですら騎士総長ガルデルではなく、彼が執っていた。
 しかし一般兵にとって神格騎士が直々に修練してくれるというのは、大変ありがたいことでもある。
 成人するかしないかという程度に少年と青年の間にいる騎士たちにとっては、
 ヒューバートなどは雲の上の人であり、普段お目文字叶わぬ人間なのである。
 ましてやリスピアに一人しかいない神格騎士。
 運が良ければ声をかけて貰うことができるため、訓練を受ける兵士らの顔は自然と引きしまり、練習にも熱が入っている。
「――じゃあ、今日はここまで。全員解散。持ち場に着くように」
 練習用の鉄剣を下げ、自分の前へ一斉に並ぶ騎士たちににこりと微笑むと、その号令を待っていた兵たちが『ありがとうございました!』と一礼して散り散りになる。
 すぐに同僚と話し始める者、まっすぐ棚に剣を返して練兵場をでて行く者。
 様々あったが、ヒューバートとしてはどちらかといえば後者の方でありたかった……のだが、
 立場上急ぎの予定もないのに、兵士や騎士たちを押し退けてまで出ていく事もない。
 ヒューバートが先に出ていこうという意志があるのなら、皆は示し合わせることもなく道を開けて、目上の者を通すのだが……。
 ヒューバートはそんな素振りを見せず、あらかたの兵士が出ていくのを待っているので、道を開けて貰うことはなかった。

 しかし、神格騎士ともあろうヒューバート。
 素晴らしいと噂されるのは実力だけでなく、容姿も大変な色男である――というのも相まって、黙って立っているだけでも絵になる。
 上級騎士に信頼や憧れを抱く騎士たちは、話しかけるチャンスだとばかりに彼へと近づいて、訓練をつけていただきありがとうございます、と礼を述べるところから始まる。
『ヒューバート様とは、何かとお近づきになって信頼関係を持っておかなくちゃな。出世も考えたいし』
 近づいてきた騎士は満面の笑みで話しかけてくるものの、ヒューバートには別の声――心の声、というべきか――もはっきりと聞こえていた。
「――ああ、また明日も頑張ってね」
 ヒューバートも、顔ではにこりと微笑みながら話に応じているものの、
 彼らの【心】から出てくる声には冷たい感情を抱いた。
 熱心な男の言葉を、当たり障りなくあしらって話を終えると、次の者が彼に話しかける。毎日修練後はその繰り返しだった。
(いつものことだけど、みんな昇進やコネ作りには熱心なんだね……。
 そのうちの4分の1でもいいから、自己鍛錬などにあててほしいんだけどな)
 人間の本心を垣間見て辟易しつつも、よりよい待遇を願う彼らの気持ちも分からなくはないヒューバートは、この時間が早く過ぎ去って欲しいと願うばかりだ。

 しかし、けして彼らの練習風景が不真面目というわけではない。
 もちろん手など抜こうものなら、ヒューバートには遠目からでもすぐに判るし、
 そのあとのシゴキが全体的に厳しくなるので、
 結果皆の足を引っ張ることにも繋がり大ひんしゅくを買ってしまうから、それだけは誰もしない。
 そこだけはヒューバートも高く評価している。まあ『そこだけは』だが。

「ヒューバート様。お疲れさまでした……ああ、額にお汗が……ささ、良ければわたくしめのタオルをどうぞお使いください」
 がっしりした体格の騎士がやってきて、ヒューバートの前にタオルを恭しく差し出す。
 確かに体を動かして汗をかいていたから、差し出されたタオルはありがたかったが――自分のがあるからとしっかり、はっきり、断固として受け取らない。
 しかし、騎士もそう仰らず、と食い下がる。
 それでもなお、君が使うといい、とヒューバートも折れない。

 なぜなら、このタオルを受け取ったりしたら大変なことになるからだ。

(……また君か……)
 この体格のよい騎士は、温厚で柔和そうな笑みを浮かべているが――……。

『ヒューバート様は今日も格別にお美しい……。
 ああ、その光る汗を舌で拭って、後ろから抱きついたまま素手でその体を洗って差し上げたい……!!』
 その後もなお妄想というか妄言は続いていたのだが、
 もう聞きたくもないのでヒューバートは冷や汗を流しつつ視線を外した。
 そう。このガチムチ騎士は、ヒューバートを恋愛的かつ性的な目で見ているのだ。
「ああ、大粒の汗が……!  もったいな……いえ、具合が悪いようであればすぐに医務室へ!」
「大丈夫だよ。僕のことは心配要らないから」
 思わず顔をひきつらせるヒューバートだったが、すぐに取り繕って形だけの笑みを浮かべた。
『具合が悪いようだ……早くヒューバート様を医務室へ連れて行かなければ!
 他の者に、このなまめかしい表情を見せたくもないし……。ああ、でももう少し眺めていたい……』
 熱っぽい瞳で見つめられ、全身に鳥肌が立つのを感じたヒューバートは、軽く腕をさすった。朝から軽く貞操の危機である。
(……今日もこんなことを考えているのか……。
 人の趣向をとやかく言いたくはないけど、君が襲いかかってきたら僕は全力で打ち倒すから、悪く思わないでよ)

――そう。ヒューバートは、特殊な能力を持っている。
 眼前にいる人物の思っていることが、勝手に頭の中に流れ込んでくる。結果、人の心が手に取るように判るのだ。
 その能力が芽生えたのは、彼がまだ10歳の時だった。
 今は立ち入り禁止区域である、リスピアの勇者ハークレイと縁ある泉【セルテステの洞窟】へと出かけた時のことだ。
 その当時はまだ賑わいのある観光名所でもあったので、混まないうちにとヒューバートは朝一番にそこへ出かけていった。
 観光可能な時間前だったということもあり、係員はおろか誰1人として居ない洞窟内へ内緒で潜入し、泉の前に座って、光粒の煌めくような水面(みなも)を見るのが好きだったのだ。
 その光が気になった彼は、好奇心から指を入れ、洞窟一帯を輝かせてしまった。
 強い光を見たせいか一時的に視力を失い、回復して包帯を外したときには――……片目の色も元の色と変わってしまったばかりか、彼の眼に映る、すべての人間の心が『視えて』しまったのだ。
 当然人が多数集まるところに行けば、目に映れば映るだけ心の中に直接声が流れ込んでくる。
 まだ年端もいかぬ少年に、その力は強力すぎて精神に良からぬ影響を及ぼす危険もあったのだが、彼はよく耐えた。
 しかし、本音を的確に言い当てるヒューバートを気味悪がった家の者は、次第に彼を避け始め、病んだ者だとして隔離し、世話役以外誰も寄りつこうとはしなかった。
 リスピアの名門たるイノセンツィ家に生まれた者に、劣った者は必要ないとする価値観がそうさせている。
 誰も来ないならそれはそれで――ヒューバートにとっては不幸中の幸いな出来事だった。
 力に押しつぶされることなく、彼は穏やかに過ごすことができるようになったのだから。

 結果、この能力も身の危険を回避するという意味では今日こんにちまで非常に役立っていた。
 人心を読みとる力……この能力は女王ルエリアを含めた、彼が心から信頼できる者――しかも片手で事足りる程度の人数――にしか話していない。
 この力の恐ろしいところは、人の抱えている精神的な痛みやトラウマまでも読みとってしまうこと。
 それなのに、この世界では未だ心や精神の病気についての治療法などはない。
 同調しすぎると、ヒューバート自身ですら相手の心情に飲まれてしまう危険性もある。

 しかし、そうあったのも初期の頃だけ。
 見透かすだけか、同調か、そのあたりのコントロールも長年の経験ですっかり理解し、自在に調節できるようになっている。

 そして未だ熱っぽい視線を向けてくる騎士とは同調したくないため避けつつ、
 ヒューバートは修練場の片隅、壁の方を向いて動かない銀髪の男……聖騎士であるレスターを発見する。
 僕は彼に用事があるからと騎士に告げて、レスターに話しかけるという口実を無理矢理作りその場から去った。
 とても助かった、と思ったヒューバートは、そのまま聖騎士へ近づいていく。
「……やあ、レス……」
 声をかけようとしたヒューバートの心に流れ込んできたのは、レスターの心の声。

 『食堂で朝食を摂ってから、アヤの様子を見にいこう……。その前にもう一度身だしなみを整えてからにしなくては。
 「わたしが汚い格好をすると、アヤが笑われるからな……それは良くない。』
 顎に手をやり、髭が延びていないかなどを確かめている。そして、肩口の匂いを嗅いだりして、汗臭くないかなども気にしているようだ。
 その姿に思わず顔を綻ばせ、ヒューバートはレスターの肩を叩く。
「髭、伸びてないから大丈夫だよ。汗臭かったら、身体を拭いて着替えていけばいいし」
「……は、はい」
 レスターは赤い瞳を瞬かせ、不思議そうにヒューバートを見つめている。
 どうやら、なぜ考えていることが分かったのか不思議に思っているようだ。
「ん?  難しいことはないさ。
 顎をさすって難しい顔をしているんだから、大体わかるよ」
 心を読まずとも仕草や顔つきで、何を考えているか推察することも多いのだが……既に身に付いてしまった力は、能力の強弱を使い分けることができても、完全に遮断することだけはできない。視たくないと眼を閉じても、その力は働いてしまうという欠点もあるのだ。
「……レスターは、今日も修練に熱が入っていたね。教える方としても喜ばしいよ」
 姫もきっとお喜びになるんじゃないかな、と言えば、レスターは照れたような、それでいて困ったような表情を見せる。
「アヤには……内密にお願いいたします」
「どうしてだい?  悪いことをしている訳じゃないだろう?」
 食堂へ向かおうと歩き始めたレスターと共に、ヒューバート自身も歩を進めて入り口の方へと向かう。
 彼の話を聞きたいというのもあったし、この機を逃せば再び身の危険を感じる羽目になるからである。
「……聖騎士の地位とはいえ、わたしはまだ……未熟です。剣でもっと上を目指したい」
 一旦言葉を切ったレスターは、ヒューバートを尊敬の念を込めて見つめた。
「……おこがましいと思われるのも承知の上ですが、いつかあなたに剣で勝ちたい、という個人的な目標もあります。
 アヤから労いの言葉をかけられるのは……その目標を達成した……もう少し、後にしたいのです」
 努力する事は美しいことではあるのだが、レスターはそれを隠しておきたいようだ。
 黙りこくってしまったレスターに、見栄っ張りなんだか真面目なんだか、と肩をすくめたヒューバートだったが……またしてもレスターの本音が流れ込んでくる。

『ヒューバート様を越えたいのもあるが、混血として肩身の狭い思いをするであろう後進のためにも、そして……アヤとの婚姻を早く認めてもらうためにも、わたしは努力しなければいけない……』

 なんと、真面目な顔つきをしていても、彼の頭の中にはお花畑もあるようだ。
 魔族の混血だろうと何であろうと、レスターも年頃である。婚活を考えても別段おかしくはない。
――なんだ、そっちのほうが重要なんじゃないか。
 思わず顔が緩みそうになるのを堪え、ヒューバートは『僕も追いつかれないように励まないと』と明るい口調で応じた。

 レスターが気にかけているアヤとは、この国の姫……正確には女王ルエリアの義理の妹としてリスピアの王族に組み込まれた、ティレシアという旧い血統の王族の末裔、すなわちティレシアの王女である。
――というのは表向きで、本当は異世界の平民女性だ。
 黒という希少な色が出にくいこの世界のなかで、黒髪と黒目を持っているという……他に類を見ない娘だ。
 その美しさはエルティアで美人とされるものに合致しており、例え黒を持っていなかったとしても、称讃されるものなのだ。
 アヤはこの平凡極まりない容姿の男、レスターの婚約者でもあるのだが……彼が魔族と人間の混血であるということや、アヤがリスピア王家の出自ではない事もあり、跡継ぎを残すことになるであろう結婚を有力者達から認めて貰えない。
 こればかりはルエリアの一存だけで決められるような問題ではなく、
 レスターに功績という形で国家に偉業と貢献を残さなければ、推薦や後押しも難しいのだ。
 しかしながら、今現在『婚約者』という肩書きがあり、魔族と罵られることもあるレスターが騎士でいられることや、普通に暮らしていることなど――実は異例も異例、猛反発された挙げ句、暗殺者が彼の元へいつ来てもおかしくないほどなのである。
 それがないのは、レスターが以前の戦争でヒューバートと共に、女王と賓客であったアヤを命がけで守護した、という働きがあったからである。
 リスピア人である神格騎士ヒューバートの功績は人々に大きく伝えられたが、
 肝心のレスターの事などはおまけ程度に伝わったに過ぎない。
 それでも、人々に注目されるということは悪いことではない。注目が集まり、国民を味方につけるだけでも将来的にはプラスだからだ。

「レスターが神格騎士に上がるのが早いか、陛下が婚姻されるのが早いか……楽しみだね」
「陛下のお耳に届けば、お叱りを受けますよ……。ですが、わたしは陛下よりは早く――」
「……ほう。随分楽しそうなことを話しているな」
 静かだが重みのある声に反応し、2人は思わず緊張した面持ちで後方を振り返る。
 すると、そこには――山吹色の髪をした威厳ある女性と、苦笑いを浮かべている黒髪の女性が立っていた。
「陛下……アヤ……」
 思わずその場に跪くヒューバートとレスター。しかし、女王ルエリアの視線は鋭く刺さる。
「レスター、口は災いの元という格言を知っているか?  おまえとアヤの婚姻を認めさせることには難儀しているとしても、関係を破棄させることくらい、余の一存で今すぐ可能なのだぞ?」
「…………大変、申し訳ございません」
 だらだらと冷や汗を流しながら、床の継ぎ目に視線をやるレスター。
 ルエリアの隣では、困ったような顔をしたアヤが事の成り行きを見守っていた。
「陛下、レスターは僕の言葉に反応しただけで、決して悪気があったわけではないと思います。
 彼は素直なだけなのです」
「ヒューバート。おまえが余計なことを申すからだ。2人共、口を慎めよ」
 はっ、と短い了承の返事を受け、ルエリアはフンと鼻を鳴らすと2人の前を通り過ぎる。
 アヤもレスターとヒューバートに一礼してから、その後を静かに歩いていった。
 ヒューバートは人心を読み取れるという特技はあるのだが……何故か、ルエリアとここに居ないもう一人の人物だけは、心を読み取ることができなかった。
「…………」
 その後ろ姿を、どこかしょんぼりした顔で見送るレスター。いや、彼は実際しょげている。恋というのは、なんとも罪多きものなのだろう。
「残念だったね、レスター。姫ももうお仕事のようだ。またご公務が終われば会えるのだから、いいじゃないか」
「はい……」
 不憫に思ったヒューバートも慰めてやったのだが、レスターは気合を入れまくっていたせいか、目に見えてがっかりしている。
 レスターってこんな性格じゃなかった気がするんだけどなぁ、と首を傾げ、
 いい方向なのか悪い方向なのか、兎にも角にも一生懸命な部下の様子に目を細める。
「じゃ、レスター。腹ごなしして、今日もリスピアのために頑張ろう」
「はい」

 こくりと頷き、2人は肩を並べて食堂へと向かっていったのだった。