ルフティガルド戦乱:6話  自己責任で

 件の赤毛の男が目を覚ましたのは、その翌朝のことだった。

「ん……」
 うっすらと開けた瞼へ朝日が飛び込んでくるかのように突き刺さる。
 光の眩しさと痛みに小さな呻き声を上げ、反射的に瞼を閉じた。

――ここはどこだ?

 目を閉じてまず最初に思ったものはそこだった。
 次に、空気の匂い。
 薬臭さが漂っているそこは、自分の部屋であるはずがない事も……理解する。
 そして人の気配を感じ、身を硬くすると同時に、緩んだ精神は冷たく張りつめていく。

 誰かが近くにいる。

 男は薄く目を開け、仰向けのまま薄汚れた天井を見上げた。
 視界を慣らし、人の気配があるほうへ首を横に傾けると――。

――椅子に座ったまま、女が眠っていた。

 長い銀の髪は朝日を浴びて、絹糸のように艶やかに輝いている。
 身に纏う厚手のコートは女の体格には大きめで少々不恰好だが、男が息を飲んだのは女の美しさだった。
 長い睫毛をしていること、薔薇色の唇は柔らかそうだとか、それらが分かるくらいには……じっと見つめていた。
 実はここが天国とやらで、自分は天使にでも出会ったかと思ったが、少なくとも天国に行くような善行をした覚えはない。
 それに、全身に感じる痛みが、これは現実だと教えてくれている。
……この女が自分を助けて治療したのだろうか?
 無防備で眠っている女は、規則正しく小さな寝息を立てている。
 こくりと頭が船を漕ぎ、後ろに流した髪はさらさらと肩を滑り落ちた。
「…………」
 起こしては可哀想だが、このまま何もわからず寝ていて良いものか。
 男は逡巡し、痛む身体を堪えて腕を毛布から抜くと、女のほうへ――

「ようやく気がついたか」

――伸ばしかけたところで、背後から無愛想な声がかけられた。
 考えれば、いくら病人とはいえ女一人で見知らぬ男と同じ部屋にいるわけがないのだ。
 全く他に気配を感じなかったことや、女を見て油断していたことを恥じながら赤毛の男はすぐに反対側を振り向く。
「ぐっ……!」
 身体の痛みは遅れてやってきたが、今は構っている場合ではない。
 顔を歪めたまま、声の主を視界に捉えた。

 自分を見下ろしていたのは中性的な顔立ちの金髪の男だ。
 深い蒼をした碧眼には、自分に良い感情を全く持っていないことがありありと伺える。
 紫色に染めあげた厚手のマントに、派手ではないが細かな装飾が施された銀の鎧を身につけている男は、騎士か何かだろうか?
 一瞬そう思ったが、鎧の胸部にはアルガレスの紋章が彫られていたため、あっと小さな声を漏らす。
「そうか……俺は……フィノイスから帰る途中で巨人のような魔物に倒されたんだった……」
「治療がもう少し遅かったら死んでいた。
運が良かったと言うべきか、悪かったと言うべきか……具合は?」
 金髪の男――すなわちカインの事なのだが――彼は赤毛の男へ体調を訊いた。
「節々に痛みがあって、うまく力が入らないくらいかな……」
「数日すれば歩けるようにもなるだろう、と治療した者が言っていた」
 治療、と口に出してから、赤毛の男はカインへ自分が倒れてからの事情を聞きたそうにしている。
 レナードがまず助けに入り、その次に発見したのが自分たちであると教えると、男はそうかと納得したらしい。
「その後はこの村に連れてきて治療だ。
そこでくたびれて眠っているシェリアとその兄、ラーズに感謝するといい」
 ほぼつきっきりで面倒を見てくれた事を知らされると、赤毛の男は申し訳なさそうに目を閉じた。
「とんだ迷惑をかけたようだ」
「……シェリアは自分の生命力まで与えて治療していたくらいだから、相当きつかっただろう」
 そうまで言われると、赤毛の男は叱られた子供の様にしゅんとしてしまった。
「それは……多大な負担をさせたんだな……」
 気の毒そうにシェリアを見つめる視線に気づいたのか、二人の男の会話に揺り起こされたか……シェリアが目を覚ましたらしい。
「……あっ!?」
 ぼうっとしたような顔を向けたが、カインと寝たきりだった男が自分を見ているのに気付いて、大きな目を真ん丸にして驚いている。
「目……覚めたのね!」
「お前も今起きたようだな」
 カインが苦笑いすると、恥ずかしそうにシェリアは自分の髪に触れてながら、照れ隠しにはにかんだ。
 シェリアは赤毛の男に助かってよかったねと笑顔を向けながら声をかける。
「傷口はもう塞がっていて大丈夫のはずだから、あとはちゃんと身体の回復力を自分で上げて体力を元に戻すようにね」
 兄様にも教えてくる、と嬉しそうに声を弾ませながら、シェリアは席を立って足早に部屋を出ていく。
 扉が閉まる音を聴いてから、一呼吸おいて――言いにくい話だが、と断りを入れてから、カインは『費用の事だが』と口にした。

「金?」
「勝手に運び込んでおいて金を要求するのは気が引けるが、こちらも路銀は減らしたくない。
できればあなたの滞在費くらいは払って貰えないか」
 これから魔王のいるルフティガルド大陸まで先は長い。
 上に立つ者として確かな金銭管理も必要だと考えている彼としては、出発早々羽振り良く金をばらまいて後々路銀に困る羽目になるのは避けたいところだった。
 貴族の生活を見て金の流れや使い方に辟易しているので殊更その思いは強く、本来ならこんなところでのんびりしている場合ではないし、カインたちの宿代も不要だったはず。
 それを上乗せしてやりたいところでもあったが、病人の具合がまた悪くなっては困る。
 多少は考慮し、譲歩した結果のようだ。
「連れの方には世話になったのだし、かかった治療費も支払おう」
 男は男らしい太めの眉をくっと寄せて、神妙な顔を向けた。
 逆に治療費分も乗せたいと申し出を受けたカインのほうが意外そうな顔をする。
「それはありがたいが……いいのか?」
「命を助けてもらったから当然だ……それで、全部でいくらくらいかかったんだ?」
「……宿三日分で18ジール(約2万2000円)と、治療費……か、相場が恐らく20ソラリス(約280万円)だからそのくらいになる」
「ええっ!? た、高すぎやしないか!?」
 これには男も驚愕し、なんでだと言わんばかりの目を向けた。
 カインもそんなことはないと首を振る。
「死んでいたかもしれん所、命も取り留めているのだが」
「そ、それはそうだけどさ! 元手は一体いくらかかってるんだよ?! 20ソラリスも使ってないだろうに!」
「魔法医療士に治療をさせたんだ。
精神力だけではなく生命力も消耗したシェリアにとっては大変な負担になる」
 うう、と低く唸る赤毛の男は、あの女性は魔法医療士か、と辛そうな声で呟いた。
 通常医師が行う患者医療より期間が短く済む魔法医療は、場合によっては患者の心身の負担が非常に少ない。
 それは魔法医療士が自らの精神力や体力を一部ないし半分以上負担しているからであり――それゆえ治療費は非常に高額な為、庶民の間ではほぼ行われない。
 赤毛の男は悪い夢なら冷めてほしいと呟き、諦めたようにカインへ『ない』と言い切った。
「ない?」
「当たり前だ。そんな大金、持ち歩いてるわけないだろ!? 持ち歩かなくたって持ってない!」
「……それもそうか。では有り金はいくらある」
 カインの声のトーンが低くなったのを気にしながら、赤毛の男は『30ジールくらいだ』と答えた。
「見栄を張るほど持っていないではないか。話にもならん」
 カインは口元に手を当て、呆れる事を通り越したのか冷たい目で男を見下ろした。
 男の方は返す言葉も無いらしくうなだれている。
 本当にまた具合でも悪くなってしまいそうな有様だ。
「有り金全てを徴収しても、また行き倒れられては困る……が、商売をして歩いているわけでもないからな。
シェリアが何事も無く回復すればそんなものはいらん。少し乗せて20ジールでいい」
「あ……」
 あの銀髪の女性が、自分のせいでしばらく動けなくなるかもしれない――そう考えると、赤毛の男は罪悪感に苛まれた。
「……待ってくれ。金は……必ず払う。
俺の祖父はミ・エラスで剣匠をしているんだ。そこに立ち寄ってくれないか」
 無理をする事も無かろうと言ってから、カインは表情を引き締める。
「……ミ・エラスの剣匠? もしやクラーレシュナイフ・エッジワースか」
「良く知ってるな。その通りだ。俺はクラーレシュナイフの孫、レティシス・エッジワース。
祖父と一緒に暮らしているんだ」
 身内を知っていてもらえたことが嬉しいのか、僅かに赤毛の男……レティシスの表情は和らぐ。
 ミ・エラスのエッジワースといえば凄腕の剣士としても知られており、現在は剣を鍛えていると聞き及んでいる。
 彼を慕い、多くの剣士や武器商人が訪れているそうだ。
 レティシスはそこで剣士らと手合せしたり、彼らの馬の世話をしてやったり、剣を取引先に納めにいったりしているのだという。
 しかし、カインは先を急ぎたいのだと告げ、否定の意味を持って首を振る。
「取り立ての真似事をしてまで金が欲しいわけではない。構わないと言っている」
「頼む! 俺が自分で払うと言ったんだ。自分で言ったことは責任を持つ!」
「だが支払いはできないんだろう?」
「確かに一括は無理だけど……それでも恩は返したい」
 厄介な男と知り合ってしまった。
 口には出さなかったが、そう思っているのが顔に出ている。
 いらない、来てくれというやり取りが再び始まりそうになった頃……部屋にラーズとレナードを伴ってシェリアが入ってきた。
「どうしました?」
 レティシスもそうだがカインの表情も明るくなかったため、また何かあったのだろうかと察したラーズが気を回して先に聞いた。
 カインは三人へ今しがたのやりとりを聞かせると、レナードはそれなら、と意見を口にする。
「僕も剣が欲しいと思っていましたし……剣匠エッジワースの物ならば是非見たい」
「勝手に行ってくればいい」
 カインのそっけない態度にやれやれと肩をすくめたレナードに、ラーズは困ったような、同情するかのような表情を浮かべた。
「まぁ……レナードの私事だけではありません。
レティシスさんが数日帰宅されなければ、クラーレシュナイフさんも心配されていると思われます。
宿を一日早く切り上げて早めに出発するとしても、ミ・エラス共和国は通る場所です。
そこへ用事がないわけでは……ないのでしょう? 何ら問題は無いかと」
「私も兄様も、ちょっと疲れてはいるけれど……今日一日休めば大丈夫。だから心配いらないわ」
 カインも、信頼する2人にそう言われれば邪険には出来ないようだ。
「……わかった。とりあえず、今日の所は各自で体を休める事にしよう。翌朝出発するが、剣の代金は自分で払えよ」
「ありがとうございます」
 どちらともなくカインへ頭を下げるレナードとラーズ。
「レティシスさんは明日の出発で大丈夫なの? まだ、動けないんじゃ……」
 シェリアが心配そうに彼の様子を伺うと、レティシスは大丈夫だと早口で告げた。
「俺は丈夫なのが取り柄みたいなものだ。
明日にはもう少しマシに動けるようになってるはず。
それより、あなたの……体調のほうが心配だ。
ああ……すまない、礼を言うのが遅れてしまった。
命を助けてくれて、本当にありがとう」
「私は回復させる手助けをしただけ。魔物を倒してくれたお礼はレナードさんとカインに」
 それでも嬉しそうな笑顔を向けるシェリアに、レティシスはぎこちなく笑みを返す。
「ああ……そういえば、こちらの名を名乗っていませんでしたね。
わたしはラーズ。貴族の出であるカインに仕えている魔法使いです。
これは妹のシェリア……そして、旅すがら同行することになった剣士レナード。
我々はフィノイスより出立したばかりです」
 自己紹介がまだだったことに気付いたラーズが簡単に説明した。
 カインの事も貴族としてはおいたが、自分たちの素性を明かすとややこしいため、姓は語らずアルガレスから旅をしている事にしておいた。
 レティシスも自分が倒れた後の事は先ほどカインから聞いた。
 それ以上は詮索しなかったため、とりあえず自由に過ごしていいと言い残して、カインは部屋を後にした。

「なんでそんなに機嫌が悪いの?」
 それとなくカインへ問う。
「散々だ。レナードという男のほかに、病み上がりまで連れて歩かねばならん」
「人を助けたわけだし……旅も思うようにいかないもの、って割り切るしかないんじゃない?」
 カインもそれくらいは分かっているが、と言いながらベッドに腰を下ろす。
 安っぽい造りのベッドは、少々埃っぽい匂いがした。
「過ぎたことはいい。それより朝から暇を持て余してしまうのが悩みだ。
かといってシェリィを一人で部屋に残しておけない。
今日はオレもここで過ごすしかなかろう」
 シェリィ……というのは、カインがシェリアを呼ぶ時の愛称のようなものだ。
 人前では使わないものなので、こう呼ぶ時は二人だけの時と限られている。
「ふふ、私は大丈夫……でも、側にいてくれると嬉しいかな。安心して眠れそう」
 朝なのにゴロゴロして、だらしなくなっちゃうねとくすくす笑いながら、シェリアはベッドへと身体を横たえた。
 思った以上に疲労というものは蓄積していたらしい。
 体が鉛のように重く沈む。この分だと数分もあれば眠ってしまいそうだと感じた。
「ゆっくり休め。食事の際はラーズが声をかけてくれるだろう。その時一度起こす」
 シェリアに優しく声をかけ、カインは彼女の頬を撫でる。
 その場を離れようとした際、シェリアに手を掴まれて動きを止めた。
「……寝るまで、側に……いてほしい」
「怖くて眠れないとでも? あいにくと鎧を着ているから添い寝は出来ん」
 離すようにと空いているほうの手でシェリアの手を軽く叩く。
 シェリアは不満そうに口を軽く尖らせて、手を離した。
「随分不服なようだが……添い寝だけで済まなくなったら困るだろう?
それでもいいなら鎧を脱ぐから待っているといい」
 フッとカインは笑ってから、篭手に手をかけてシェリアの表情を肩越しに振り返る。
「そ、そういうのは期待してないっ! もう!」
 シェリアは見る間に顔を赤くさせたのち、視線から逃れるように背を向けた。
 それを見届けてから、カインは備え付けてある座り心地の悪い椅子へと腰かけ、荷物から手帳と地図を取り出す。
 細かい事をする時間はないが、情報を整理する程度の時間は十分にある。
 昨日村を見て回った様子やこのあたりの地域に関する情報、そして旅の日記をつけることにした。

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bit start様よりお借りいたしました。

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