41話  望んで立っている場所でさえ、時に酷く息苦しい

 ベルクラフトの屋敷から、港に停泊している船へと戻ってきたカイン達。
 数時間前までここに居たはずだが、まるで何日も留守にしていたような心持ちである。
 我が家に戻ってきたかのような安心感から、皆が気を緩めるのが伝わってくる。
 話し合いの前に、一旦休息を取ってからにしようというカインの提案に異を唱えるものはおらず、各人は別れた。


 生存しているベルクラフトの二人――当主デルフィノと次男セルジョのことだが――は、彼らの一族が行なっていた研究に虚偽の報告や重大な危険性等が発生していることから、緊急措置として身柄を拘束し、ギルドへ引き渡すこととなった。
 縛られて自由の利かない手足の代わりに体をくねらせ、芋虫のようにもがいていたセルジョを荷台に放り込み、屈強なギルド員に両脇から腕を掴まれていたデルフィノは猿轡を付けられ、魔術を使えないようにされている。
 ラーズやカインの姿を認めると憤怒と恨みを込めて睨みつけながらすれ違い、連行されていく。
 その間、ミュリエルはイルメラを庇ってくれたレティシスへ何度も礼を述べ、当のイルメラは心配そうに恩人を見上げていた。


 数時間後、再びカイン達は船内の会議室に集まった。長机を囲むようにして配置された椅子にそれぞれ座る。
「シェリア、まだ無理しないほうがいいからな。辛かったらすぐ言えよ」
 まだ体調の優れないシェリアを気遣うレティシスへ、ありがとうと微笑む彼女もレティシスへ心配そうな目を向ける。
「レティシスのほうこそ、大変だったんだから無理しちゃだめだよ?」
「だ……大丈夫だって! ラーズさんに治してもらったからな!」
 そう言いながら照れを隠すため大きく腕を振ってみせるレティシスに、隣のラーズは『傷口を治しただけですから無理は禁物ですよ』と注意する。
 黒い女から攻撃を受けたレティシスは身体の至る所に火傷があったものの、先ほどの休憩時間を利用してラーズが治療にあたったため、ある程度は回復したようだ。
 ラーズの言う『傷口を治した』とは、外皮……表面だけを覆った、ということであり、傷んだ部分は身体の治癒機能に任せる治療を施した。
 自らの身体が快癒したと喜びを感じながら肩を回すレティシスに苦言を呈したのも、無理をすれば完治までの時間が長引くからである。
 ラーズの内心を読み解いたわけでは無かったが、レティシスははたと動きを止めラーズのほうへ身体ごと向く。
「……今回の分も、俺の借金に加算される?」
「おや、わたしのはシェリアの治療ほど高額にはなりませんが、どうしましょうかね……」
 勿体ぶったように言いながら請求するつもりなど毛頭ないラーズは、ちらりとレティシスの反応を伺う。
 隣の青年は、やや緊張した面持ちでラーズの言葉をじっと待っているようだった。
「そんなに心配なさらずとも、代金はいただかないので大丈夫ですよ」
「あ……は、それは良かった」
 ホッとしたようなレティシスを見て、脅かしてしまったことを詫びつつ柔らかな笑みを浮かべるラーズ。
「……疲れてるのに傷、治してくれてありがとう」
「構いません。しかし、疲れはこれからが本番……でしょうね」
 すると、レティシスもうんざりしたような顔をして、ついカインのほうを見てしまう。
 相手も彼らを見ていたため、必然的にカインとレティシス二人の視線はかち合ってしまった。
「……なんでもないよ」
「まだ何も言ってない」
 そうは言うものの、カイン自身もこの話し合いは気が乗らない。
 レティシスが辟易するのも理解できるし、なにより……レナードの返答次第では冷静でいられるかどうかすらわからない。
 そのレナードはカインの左側、恭介とフィーアの間に座っている。
 あの兜はつけていないため、その素顔がはっきりと視認できていた。
 明るい金髪に、琥珀を思わせる瞳。それだけでも――十分『見知った色』であった。
 だというのにカインは本人に直接聞くでもなくラーズへと顔を向け、この男は何者なのかと尋ねる。
 
 ついにカインへ事実を伝える事になった。
 
 ラーズは椅子に腰掛けたまま背筋をすっと伸ばし、呼吸を整える。
「……レナードというのは仮の名前です。
彼の本名はリエルト・アーデルハイト・アルガレス。
未来からやってきた、正真正銘……あなたとシェリアの息子です」
「ええっ!?」
 驚きの声を上げたのは、カインではなくレティシスのほうだった。
 目を丸くして、カイン、シェリア、リエルトを見比べている。
「全ッ然似てないだろ!?」
「シェリアさんにもカインさんにも似て……んん……お茶が美味しい」
 似てると口を挟んだ瞬間、レティシスとカイン双方から刃のような鋭い視線が突き刺さってきた。
 慌てて言葉を濁しながら恭介はカップに入った熱い茶へ口をつける。
「……ラーズ伯父さんの仰ることは本当です」
 仲間の顔を見渡し……リエルトは未来で起きた事、目的、そして自身が何者であるかを話した上で、今まで隠し持っていた、もう一振りの光剣ウィアスを机上に置く。
「僕が肌身離さず持っていた、未来の……ウィアスです」
 カインは置かれたそれを細部まで眺め、暫く観察した後、手に取ってみる。
 持つことの出来る者が限られているウィアスは、カインの手に収まっても何事も起きない。
 鞘から抜き、輝く刀身に触れ……意識を集中するように目を閉じる。
 すると、どうだろう。アルガレス王家の血に反応するのか……ウィアスは輝きを放ちはじめた。
「……確かに、これはオレの持っているウィアスと同じだ」
 目を細めていたリエルトは、ただ眩しさからそうしたのではなく、今自分とカインが対面している事に感じ入るものがあったせいだ。
 ニコリとも笑わないカインが同じ気持ちでいるはずがないことは分かっている。
 それでも、記憶の中の父とは違い、事実と向き合ってくれているのは無常の嬉しさがあった。
 剣を元に戻して再び机へ置くと、カインは腕を組み『それで』とリエルトへ切り出す。
「貴様が何者か。なぜシェリアを狙ったのか。将来はどうなっていたのか……それは分かった。
今後はどうするつもりだ? まだシェリアを狙うのか?」
「カイン皇子、彼は――」
「君には聞いていない」
 恭介が間を取りなそうとするも、カインは即座に切り捨てる。
 リエルトはシェリアの方をちらりと見てから、確かに、と口を開いた。
「……彼女のことをもう恨んでいないかと訊かれると、頷くことは出来ません。
ですが貴方が倒れるまで、彼女の命を狙うことはないでしょう」
 淡々と答えるリエルト。未来から来た彼は18歳で、現在のカインと年齢も背格好もほぼ同じ程度。
「ふん。どうだか……」
 予想していたことではあるが、シェリアのことが絡み始めるとカインは自分を信じようとはしてくれない。
 リエルトが知っているカインは激怒することも笑うこともなく、皇子としての責務をこなす、寡黙な男性だった。
 たまに会っても自分を撫でてくれたかどうかは覚えていない。
 それなのに、識っている父とは違う、と初めて思ったのは――ここにやってきて、ベルクラフトにシェリアを奪われたとき。
 カインはリエルトを敵と認識し、激しい怒りと共にリエルトの喉へ指先を食い込ませてきた。
 殺されてしまうかもしれなかったのに、カインの感情で変わる深い蒼の眼に見据えられてなお、その色が綺麗と、受け継ぎたかったと思ったのだ。
 同年代の父は、姿こそ記憶の中の姿と大きく変わってはいないが、まるで別人といってもいいくらいに激しいものを内に秘める男性だった。
「信じて貰えないのも仕方ない……と思っています。だけど未来の彼女はとてつもなく凶悪だった。
だからこそ、僕は憎しみを抱き、あの日を変えたいと願ってここへ来た。
この未来があの日に繋がっていくのなら、あの黒い女も当然関わっている。
僕の知っている時間のシェリアさんは結局連れ去られて魔族化し、あの女に何かを吹き込まれて善悪の理性を失ったままアルガレスへ現れた……と考える方が妥当ではないかと思っています」
 そう説明するリエルトですら、自分の言っていることに相違があることも分かっている。
 シェリアがカインとフィーアを手にかけるときに見せた表情。
 そして自ら『過去へ渡れば自分を殺せる』そう提案してきたのだから理性や感情を失ってはいなかったはずだ。
「――未来は、これで本当に変わったのでしょうか」
 リエルトの呟きに、恭介は茶を口に運ぶ動きを止めた。
「どういう意味だい?」
「本当のことを言えば、真偽不明な空白の時間が大きすぎて、僕にはこれで良かったのか悪かったのか分からない。
ただ、彼女がここにいるというだけで、結果は……未来への道は同じかもしれない」
「……ここにいるかいないかは、大事なことだ」
 カインがぽつりと漏らした言葉に、リエルトは怪訝そうな表情を浮かべる。
「手を伸ばせば触れる事が出来る。大事な物が隣に在るのは、願いが叶うのは当たり前の事ではない」
 そうしてシェリアを見るカインの瞳は寂しげで、シェリアはいたたまれないのか直視することが出来ずに目を伏せる。
「いるかいないかは大事……僕は、きっとそう思って貰えなかった。
物心ついたときには乳母と伯父さんの家族としか触れあう身内が無くて、あなたは僕を、ましてや……フィーア様のことも見ていなかった」
「あたりま……」
「フィーア様、お静かに」
 抗議しようと口を開いたフィーアを肘で軽く小突いて黙らせる恭介。
「……」
 カインは眉を寄せ、複雑そうな表情をした後……リエルトから顔を背ける。
 それを見て、リエルトも悲しげに笑う。
「僕のことなど、何の興味も無かったのでしょうね」
「そんなことない……どうしていいか、分からなかったんだと思うの」
 静かに、だが強めに発せられたシェリアの声。皆は一斉にシェリアを見つめ、彼女はその視線を受け、はにかんだ後リエルトに向けて言葉を投げかける。
「その……私が居なくなった未来って、カインが無事に魔族と話し合いを終えてアルガレスに帰ってこられた、と考えて良いんでしょう?
カインはその間私を探して、公務をこなしたり、心身が疲弊したままいろいろなことに駆り出されて、そのまま時間が過ぎて……気がついたらリエルトは大きくなっている。
何が好きなのかも、何が得意なのか知ることもできなかった……それはとっても寂しいこと。
でも、向き合って家族として何から話せば良いかも、カイン自身分からなかったんじゃないかな」
「まあ仕方がないとはいえわたくしがカイン皇子と結婚してるのも最悪ですしね。
互いに興味が無かったのもこの現状を見ればおわかりでしょう?」
 悪態をつきながらも優雅に茶を飲むフィーアに動じた様子も無い。
「ま、美談としてキレイに纏めて下さったシェリア様には申し訳ないですが、多分未来のカイン様はシェリア様がいなくなって、抜け殻になったんだと思いますわ。
溺愛していた女性の面影の残る貴方と話すのも辛かったのでしょう」
「……想像力が相変わらず逞しいですね」
 肯定するでも否定するでもないカインは、そう告げた後……あの女のことだが、と話題を変える。
「館の中でオレ達の前に現れたとき『フィファーシュ』という名前を口にしていたのを覚えているか?」
「ええ。わたしも聞きました……が、アルガレスでは聞き覚えの無い名前ですね」
 ラーズがそう答えると、カインは意味ありげにリエルトに貴様はどうだと尋ねた。
「……いえ、僕も覚えはありません」
「一族の家系図も手にしたことは無いのか? 実際見て学んでいないなら、後で大臣共に笑われるだけだ」
 呆れたようになじるカイン。ぐっと堪えた様子のリエルトを見て、シェリアは眉を寄せながらカインの服の袖を引く。
「そんな言い方したら可哀想」
「無知は事実だ」
 リエルトを庇おうとするシェリアに、当の本人であるリエルトはますます不服そうに唇を歪める。
「……確かに家系図は見ていない……というより、僕はあなたの隣に座っている女性との間に出来た庶子なもので、自由にものを見ることはできませんでした。
改ざんされたもの以外は見せて貰えませんし、説明も無いので何故だめなのかも分からない。
未来のアルガレスでは、シェリアさんに関する情報などほぼ無いに等しかった。探し物は大変だったのですよ」
「え……」
 驚きを見せるシェリアと対照的に、フィーアのほうは半眼でそのやりとりを見つめている。
「うわ、嫌味っぽいところはそっくりそのまま受け継がれていますのね。
シェリア様のような可愛らしい素顔で、毒を吐くときはカイン皇子のような嫌な顔になる。間違えようが無いでしょう、これ」
「確かに、ちくちく攻めてくるところは同じだ……」
 レティシスも不憫そうに言ったが、無言で圧をかけてくるカインから視線を逸らす。
「その、フィファーシュという方はアルガレス王家に関係されていると?」
 ぴりぴりした雰囲気を和らげるように、ラーズの穏やかな声が割って入り、表情を曇らせながらカインもそうだと答える。
「……アルガレス王家がラエルテを祖とするのは周知だろう。
が、ラエルテも木から生まれたわけではない。アルガレスとなるこの地に安住を求めにやってきた、他の王族だ。
その王族というのが今は失われし血脈、ティレシア王家。
彼は最後の王の『はとこ』にあたる……と書庫の家系図に記されている」
 すると、シェリアは何かに思い当たったらしく、知ってる、と口に出す。
「ティレシア王家のこと、本で読んだことある……。
まだ神々がこの地で他種族と共に暮らしていた頃、夜の神に寵愛された王族がいたこと。
その血族は闇の色をたたえた髪と、神秘の黒い瞳を持つ、美しき者達。
……その最後の王は自らも神の一員になろうと野望を抱いてしまったことから、創造神を含む多数の神からの怒りを受け……国が一夜にして滅んだ」
「ラエルテ王は、その頃既にティレシア国にはおらず、養子なので直接の血縁関係が無い。そして髪や目の色が異なっていたため罰を受けることもなかった。
だが忌まわしい王族がどこに居ても分かるよう、夜の神は我々から『黒』を奪い、ティレシア一族のみ受け継がれるように施した。
それがティレシア王家の『黒の呪い』……人工的に黒を作ることが難しいのは、ここが由縁とされていますわね」
 そうだ、とカインも頷き、シェリアの足下で丸くなっている羽猫を見つめる。
 猫はシェリアの側を離れようとせず、時折フィーアや恭介に向かって『にゃあ』と鳴いて何かを伝えたがるそぶりを見せた。
 その猫の正体が何であるかは、フィーア・レナード・恭介のみ知っており、カイン達にはただの珍しい猫という認識しか無い。
 猫……いや、ルァン本人からカイン達に明かすことは謹んで欲しいと告げられている。
 よって、――穏やかに眠っているように見えながら、きちんとカインらの話に聞き耳を立てている。
「そんな話だったのですか。だから、ぼくはティレシア王家のものかと聞かれたんですね」
「ごく稀に黒を持つ人も現れるのですが、純粋な黒ではありませんの」
 恭介は長年の疑問に合点が行ったらしい。晴れやかな顔で頷くと、残念ながら僕は異世界の庶民ですよと笑う。
「それで……その王家は、滅んでしまったんでしょうか?」
「……ラエルテの直系は、十三代目のアイザック・ハドラフ・アルガレスで途絶えてしまう。
その後、アイザックの兄弟筋に当たる血筋……アルフレドの孫ヘンリクが王位継承し、彼の孫が変死したことが切っ掛けで近縁の父が王位を継承した」
「アルフレドさんって、ミ・エラス共和国の建国者パルファルマの兄弟だったよな?」
 レティシスも多少自分の国の歴史は知っているらしい。自信ありげに答え、カインも無言で頷いた。
「こうしてアルガレス王家は、ラエルテの血を薄くして現状に至る。
ヘンリクの王位継承問題が出ていたとき……アルガレスに、ティレシア王家の末裔だというものが現れた。
アルガレス王家はその怪しい青年を捕縛し、事細かな質問を行う。
青年の言い分としては、不老を求める者達から血肉と命を狙われているためアルガレスに保護して欲しいとのことだった。
ティレシア王家は夜の神の加護として不老長命の恩恵を得ていたため……その血肉を自らの体内に摂取すれば、同じように効果を得られるという作り話があったほどだ。
無論、そのようなものは幻想の域を出ない」
「人魚の肉の話みたいなものかな。
……あ、ぼくらの世界でも、そういう不老長寿の昔話があったんだ。人魚は実在してないけどね、多分」
 恭介がそう説明すると、珍しい話でも無いのだなとカインは相槌を打ち、再び話し始める。
「アルガレス側はその青年の話を信じない。なぜなら、ティレシア王家が滅んだのはもう数百年も昔のこと。
ティレシア王国を知るものは当然おらず、彼の背にティレシア王家の血筋に現れる身分を示す『とある生物』をあしらった紋様があったそうだ。
なぜならティレシア王家の養子であるラエルテには無かったものだ。調べようにも真偽は分からない。
そして――青年はどうなったかといえば」
 カインはそこで言葉を切る。ルァンは薄眼でカインの様子を見上げた。
「……翌日城から追い出された。
その三日後に森で髪や肉といった……全てをこそげ取られた新しめの人骨を発見したそうだが、それがその青年だったかも不明だ。そして、記述はそれで終わっている」
 一同が息を呑み、まさか、とラーズが口にする。
「そのアルガレス城に来た青年の名が……フィファーシュ……?」
「フィファーシュ・アルフ・ティレシアス……だと書物には記されている。
紋様の形はおろか、人物の様相。家族構成。そういったものも明記されていた。
だが我が王家にティレシア王家の家系図など無いけれど、彼が本物のフィファーシュであったなら、あの黒い女の出自は……ほぼはっきりする」
 皆はカインの言葉を待つように息を潜め、カイン自身もまた、緊張しているかのように見える。
「黒い女……もしも生きていたとするならば大魔術師のアイオラ・ディーリ・ティレシアス。焦がれる野望と共に国を滅した最後の女王。
フィファーシュの母親であり、息子を殺したアルガレスに強い恨みを持つ者だろう」
 腕を組んで話を聞いていたレティシスは迷いながらも口を開いた。
「アイオラの狙いは、アルガレスへの復讐だけじゃないと思う。
俺、二階でアイオラにやられて手も足も出なかったけど、あいつシェリアもカインさんも大事だから、守ってあげるようにって……」
「よく分かりませんわね……魔王が欲しているのはシェリア様……として、アイオラはアレス皇帝ではなくカイン様のほうに利用価値がある、と?」
「アイオラが魔王とどう繋がっているかがまだ分かりませんが、それよりも……気がかりなのは」
 ラーズはそこで言葉を切り、シェリアの方を見つめる。
「……アイオラ、父、ベルクラフトの一連の関係です。
父はシェリアに術の施された指輪を渡しており、ベルクラフトはその呪文の発動方法を知っていた。
疑いなくここは繋がっていると考えて良いでしょう。そして我々の前に現れたアイオラの話しぶりは父のことをよく知っているようだった。
アイオラとも面識があった上でベルクラフトをそそのかし、油断させたあと奪い返す。
連れ去ったシェリアを魔王に謁見させ、体内の血を活性化させて魔族に変えた上でカイン様と取引をしようと画策していた……?」
「確証が無いと一蹴したいところだが、あり得ると思う方が強いな」
 カインは苦しげに呻き、考えたくないものだ、と口にし、次に狙うのはどういった手段になるかと思案する。
 ルドウェルはベルクラフトとの取引においてシェリアを引き渡し、恩を売り……そして一族の地盤をより強固なものにする。
 それが目的だと思っていた。だが目標は何であるのか? そこが見えてこない。
 ベルクラフト以外にシェリアを利用する価値があると知れば、次は直接自分たちの前に現れるかもしれない。
「父に直接目的を尋ねても、答えはしないでしょう。あるいは……肯定されて強硬手段に出ないとも限りません。
わたしの力ではまだ父に勝てない。戦闘になれば皆はおろかシェリアを守り切ることは出来ません」
「……」

 しんと静まりかえる室内。一生懸命言葉を選んでいたレティシスだったが、ふとアイオラの持っていた壺のことを思い出す。

「えーと、グラナト……コープス?」
「?」
「アイオラって女が持って帰った壺の中身。
なんかベルクラフトが作ってた……ドロドロて鼻が曲がりそうなくらい臭い粘液でさ、魔族の死体と、いくつかの術を合わせたやつ……だったかな」
「粘……? 死体……が、溶けて?」
 シェリアが自分の胸元を嫌そうな顔で見るので、レティシスは慌てて聞き間違えかもしれないとフォローを入れる。
「……そういった術は、アズクラなどで呪術として使っていると伺ったことがあります。
神聖な場所も、朝と夜では霊性が入れ替わるので、呪術に適した場所としても効果があるとか」
「ではアズクラの知識を取り入れ、あの陽の差さない屋敷を仕立て……それに近い環境を作っていたのか」
 フィーアとカインが納得したように頷き、ラーズも首肯する。
「あっ、魔族のネズミもほんと山ほど居たんだ。あれが死んだら液体に放り込んで濃度を増してたのかも」
「ネズミ……死体……うぅ……」
 シェリアは自分の気が遠くなりそうな虚脱感に襲われ、思わず顔を覆ってしまった。その心中を察し、フィーアはシェリアを痛ましげに見つめる。
「……とにかく、なんかまあ……呪術がシェリアを生かしたっていうか……」
「そこは、嫌だけど認めるしかないところかもね……魔力を糧にして、身体の機能を補いながら作り替える……魔法医療だって、こうはいかないのに」
 肩をすくめて肯定するシェリアは複雑そうな表情を浮かべた。
 今後どうなるかは冷静に考えていかねばならないことだ。それはシェリア自身も、他のメンバーもよく分かっている。
 
 再び重くなりそうな空気を察知し、レティシスはカインへと新たに話を振った。
「それでさ、これからどうするんだ? アルガレスに報告とかもあるんだろ?」
「……報告はしない」
「え? でも……」
「ベルクラフトとの和解は成立しなかったが、事実上諍いは沈静化したようなものだ。
今回のことで分かったが各種ギルドを通じ、他国にもオレ達のことは耳に入っている。
放っておいても話は伝わってしまうだろうから、王、ましてやルドウェルに次はどこに行くか、何をするかなども伝えたくは無い」
「ですがカイン様、それは宜しくないと思います。
王が一言貴方に帰還命令を発せば、それに従わざるを得なくなりましょう……例え、王が発さなくとも国家証を持っている男がいるのですから」
 フィーアの諫めに、カインは苦々しい顔をする。
「父上も大臣も、よくあのような男を側に置いて国家証を渡したものだ。自分たちがあの男の傀儡になってしまってからでは――」
 呆れながら愚痴を零しかけたカインは、自らの言葉で国内に迫る真の恐怖を感じた。
 それはラーズやシェリアも同じようで、二人ともカインのことを強張った表情で注視している。
「……カイン様……」
 ラーズでさえ、言葉が出てこない。シェリアは自身の口元を手で覆い、青い顔をしながら『ごめんなさい』と口にする。
 旅立つ日に、父から渡された指輪は彼女を縛める道具だった。その絶望が、再び胸を締め付ける。
「もう、父様を信じることが出来ない……そんなことあるわけないって。もう言えないの……。
ああ、ではリエルトはどうなってるの……どうしよう、あの子が」
「シェリア」
「リエルトは乳母に預けてきたの。でも、もし王や大臣が父の良いように操られてしまっていたら……父が居るから大丈夫だって思ってたのに、それが、一番の不安を呼び込むなんて……」
 シェリアの肩に手を置いて宥めるカインを見ながら、そこにいるリエルトは寂寥感を覚えた。
 二人が話しているのは当然自分のことではなく、この時間に生きる赤子のリエルト。
 カインが心を砕いているのも、自分ではなくこの時間で生きる赤子のリエルトと、シェリアのこと。
「今回のことも当てはまるか分かりませんが……確か僕と乳母は伯母オクタヴィアの実家に滞在し、二歳で伯父の家に引き取られたと聞いています。
そこでカリーナやレオンと一緒に育てられました」
 すると、ラーズはふと眼を細めてそうですかと微笑んだ。
「カリーナ達は貴方をいじめたりはしませんでしたか?」
「いいえ。とても優しく接してくれました。
ただ、ご両親の自慢話をする際は嬉しそうでしたから、誇れる家族が居るのはちょっと羨ましかったですけどね」
 ふむ、とラーズは頷き、こつこつと指で机を叩いた。
「……リエルトの事は確かめなければいけません。わたしは妻に連絡を取ってみますが、カイン様は王の安全を確かめるべきでしょう。
次の目的地の指定があるかもしれません」
「……わかった。フィーア王女、取次ぎをお願いできるか」
「ええ。お待ちを」
 ラーズとフィーアはそうして立ち上がり、会議室はにわかに慌ただしくなる。
 恭介は不安げなシェリアと複雑そうな面持ちのリエルトにかける言葉も無いまま、自分の瞼を押さえる。
 今こそ過去や未来を見通す能力が発動してほしいものなのだが、本が焼失してから眼の疼きは無い。
 自分の能力は消えてしまったのだろうか。本なら何でも良いわけではないのか。そう焦れたとき、ふともう一冊の【ルフティガルド戦争】の存在を思い出す。
「リエルト、そういえば君、肌身離さず持ってる日記があったね」
「……ええ、それがどうしました」
「いや、その……ぼくの本燃えちゃったから、君の持ってる未来の日記が媒体にならないかなって」
「確かにありますけど……今は無理です。本人が居るのに出せるわけ無いでしょう?」
 そう小声で言ってカインのほうをちらちらと見るリエルト。それもそのはず、彼の大事な日記は現在のカインも書いている物だ。
「未来の日記ってなんだ? カインさんが関係してるのか?」
 レティシスが話に加わってきたが、急に名を出されたためカインが彼らの方を振り向く。
「日記? ……なんのことだ?」
「わっ、やっちゃった……」
 思わず顔を覆う恭介に、カインは不思議そうな顔をしたが……はっと気づいてリエルトを睨む。
「……見たのか」
「いえ……あなたのじゃ……」
「未来のオレが持っていた日記か」
「…………」
 黙秘を貫こうとしたが、カインは許してくれなかった。
「答えろ」
「……そうです。未来のあなたが……持っていました」
 肯定すると、みるみるうちにカインの顔は怒りと羞恥で紅潮していく。
「返せ。今すぐ出せ」
「あなたのじゃ……」
「返せ!!」
 掌を突きつけられ、恐ろしい剣幕で怒鳴るカインにリエルトは渋々といった風に日記を取り出すと、カインはそれをひったくるようにして手中に収める。
 レティシスも覗き込もうとするが、カインに手で追い払われてやむなく退散した。
「……間違いなくオレの字だ。書き始めの日も同じ。
こんなに紙まではさんで解釈しようとしてたのか……人の事を覗き見るなんてどういう教育……いや、とにかくもう中身のことは忘れろ」
 次々にページを捲っていくカインは端から見て分かるほどに狼狽えている。
 そんなカインをシェリアは珍しそうな顔をして見上げていたが、恭介にこれが必要なのよね、と投げかける。
「あ……変わってるかどうかちゃんと見ないといけないから、もし貸して貰えたらじっくり見るけど……」
「誰が貸すか!!」
「だよね……」
 予想通りの答えに苦笑する恭介だが、懐にしまおうとするカインへ、リエルトは声をかける。
「あなたが持っていても構いません……でも……処分だけはしないでください。
あなたにとっては人に見られたくないことも悩みも書いてあった。でも、僕にとっては……大事な形見なんです。
僕の知らない両親を知る、唯一の……手段だったので」
「……」
 すると、カインはしまいかけた日記をまじまじと見つめ、苦々しい表情で再びリエルトへ差し出す。
「オレが持つべきものではなかったようだ。すまない」
「……あ……」
 差し出された日記を恐る恐る受け取ると、リエルトはじっとカインを見つめた。
 眼差しに敵意は無かったが、ある種の迷いのようなものも感じられる。
「……日記を見たとき、どう思った」
「どう……とは?」
「オレという人間のことだ」
「……その日の出来事を箇条書きに、追記程度に感じたことや翌日実行すべき事など簡潔かつ丁寧に日記は綴られていました。
だけど……クライヴェルグを過ぎて、リスピア王国に立ち寄った頃から、あなたは記憶に障害があると悩んでいて……」
「――!」
 びくりとカインの身体が大きく震えたのを、その場にいた誰もが見ていた。
 床に寝そべっていたはずのルァンも、いつの間にか机上にあがっていて、カインとリエルトのやりとりを見据えている。
「昔のことが――」「……やめろ。もういい。その話は誰にもするな」
 早口でカインは話を打ち切ると、フィーアの様子を見てくると逃げるように部屋を出て行った。
 シェリアはリエルトに、どういうこと、と尋ねてみたが、彼は言えないと首を横に振る。
 恭介は首を傾げ、記憶にある書物の内容を追っているようだが、そんなところあったかな、と口にする。
『リスピア、か……』
 ルァンはリエルトと恭介にのみ聞こえるように声を届け、天井へ視線を巡らせる。
『月の女神エリスの愛する国。我が太陽は如何なる攻撃をも退けるが、エリスは魔による攻撃を退ける。
道中の助けとしても、一行を導く夜道の標としても、どうやら助力を得る必要がありそうだ』
 そして、自らが知りたい事象の糸口も見つかるかもしれない。
 シェリアは閉められた扉を見つめたまま、リエルトとカインの言葉を思い出す。
『記憶の障害があると』
『昔のことが――』
『やめろ!』
 一体、カインには人に話せず抱え込んだ秘密がどれほどあるのか。
 それを分かち合えぬ悲しみと孤独を思い、シェリアは目を閉じる。
 リスピアで一体何があったのか。そして、リエルト達は無事でいてくれるだろうか。
 そして、自分の身体は――いつまで持つだろう。
 不安を抱えながら、シェリアはラーズとカインの報告を待つことしか出来なかった。

タイトルとして使用させていただいているお題
【望んで立っている場所でさえ、時に酷く息苦しい】は、
nothing様よりお借りいたしました。