ルフティガルド戦乱:36話  頭の中には泣きたいってことしかなくて

 一体何が母に起きているのか。
 こんなに近くにいても、シェリアには何がどうなっているか分からなかった。いや――『分かりたくなかった』のだ。
 なぜなら、ランシールの身体はミチミチと肉の裂ける嫌な音を立て、赤い肉を露出させる。
 かと思えば、長い銀の毛は鮮やかな血に紅く彩られ、肉の隙間から伸びていた。
 しかし、その血液や肉は空気に触れるや否や鮮やかさを失い、紫色に染まっていくではないか。
「殺してやる、全部殺してやる、コロシてやる……!」
 相手を呪う言葉を吐き続けながらも、ランシールの身体は徐々に人ならざるものに変貌していく。
 それにつれ、彼女の周りには異様に泥めかしい、目視できる程に濃密な魔力が渦を巻く。
「――は、ははっ、なんだありゃ、すげえ……。あの魔力溜まりも見えるか?
見えるよな、ベルクラフトの俺にも見えてるんだ……なるほど、負の感情……そうか、今までの動物も強い怒りや恨みで魔物に変化してたのか……」
 オルフェオは薄笑いを浮かべ、シェリアの返事を聞かずに話し続ける。
 それは自らの精神状態を安定させようとしての事だろうが、そんなオルフェオをシェリアはキッと睨んだ。
「あなた、今まで……って、何……母様に何をしたの……! 元の姿に戻して!」
「『俺は』何にもしてねえし、どのみちもう無理だ。
ああなっちまったら、二度と戻れねえ……このまま魔物になるしかねえ」
 魔物と聞いて、シェリアは愕然とした。なんてことを、という言葉を発したのかすら理解できていない。
「母様を弄んだばかりではなく、こんな事までするなんて酷すぎる……! あなたたちはなぜ……本当に次から次へと恐ろしい事を……!」
 すると、オルフェオは研究のためだと怒鳴るような返事をした。
「いつもいつもお前らイリスクラフトは一番の悪人なのに被害者ぶりやがる!
イリスクラフトのせいで、どれだけベルクラフト一族は苦しめられたと思ってんだ!?
恐ろしい事? ハッ、お前の親父が何もしてないと思うか!?
自らの名声欲しさに妻と娘を差し出してるじゃねぇか!
娘はアルガレス王家のガキを産んで、用済みになったらベルクラフトにも渡して感謝される!
それで世界最高の魔術師? ハッ、確かに笑いが止まらないくらい痛快だよな! ロズウェルは今頃涼しい顔で次の悪巧み中さ!」
「いい加減な事言わないで!」
 シェリアも父を庇うようについ声を荒げた。
 父親は苦手な存在ではあったが、自分たちを犠牲にしても一向に構わない人間……という認識はしたくなかったのだ。
「はっ、悲劇ぶってるのは最高だよな! そんなに気持ちいいのかいシェリアちゃんよォ!」
 しかし、オルフェオはまだシェリアの心を痛めつける。
「じゃあもっといい事を教えてやろう。
獣化する原因の液体……それはランシールだけじゃねえ、あんたの身体にも入れたのさ――つまり、お前もいつかは! 獣になるんだ!!」
 半笑いでオルフェオが指し示すのは、魔獣へ変貌しようとしているランシール。
 シェリアは狂気を見せるオルフェオからランシールに視線を向け、自身の胸へ手を添える。
「――私も、同じ……?」
「そうだとも! お前も魔物に成り果てる!
嘘だと思うなら、身体の具合はどうだ!? 目覚めてから常に怠さがあるんだろ!
体力の大半と魔力は身体の中に入った液体に溜め込まれる! 強い怒りと恨みに反応して蓄積し……化け物となることで覚醒するんだ!!」
「いやああああぁーー!!」
 耳を塞ぎ、激しい拒絶を示したシェリアの声に反応するランシール。
 自棄気味なオルフェオはそれに気がつかず、シェリアへ近寄ると屈み込んで、太ももを掌でゆっくりとなで回す。
「あのとき、銀の兜の皇子様に殺されるとこだったよな……痴話喧嘩でもしてたのか?
ゴミのように棄てられてかわいそうなシェリアちゃん……大丈夫だ、魔物となる日までは俺が面倒見てやるよ!」
「ベル……クラ、フ、トー!!」
 瞬間、ランシールは赤く変貌した眼をオルフェオに向け、手を床につき四つん這いになって疾走する。
「くっ……!」
 ぎょっとしたオルフェオはシェリアから手を離し、左へよろめくようにしながらランシールの体当たりを紙一重で避けた。
「シェ……リア……」
 立ち止まり、娘の様子を確認しているようなランシール。
 その様子を好機としてか、彼女目掛けてオルフェオは攻撃の魔法を紡ぐ。
悠久の風よ、踊れ(ニテエラ・ウル・バース)!」
 突然巻き起こった風は極薄の真空刃となって、シェリアとランシールに向かっていく。
「……あ、っ……!」
 咄嗟に魔法で防ごうと手を広げたシェリアは、自身に魔力が残っていない事を再認識すると、なすすべも無い事を悟った。攻撃に備えるように目を瞑る。
 だが、ランシールはシェリアを守るように立ち、甘んじて攻撃を受けた。
 吹き荒ぶ風が銀髪を数房空に浮かせ、まばらな長さに散らす。
 後方にいたシェリアは痛みどころか傷の一つもなく、オルフェオがランシールに与えた攻撃は彼女の髪を散らすのみだった。
 彼女の身体からは確かに血は滴っているものの、オルフェオの魔法によるものではない。
 傷口からは青い血液が流れ、裂傷から覗く肉も変色しており、強い血臭を漂わせている。
「はやク、ころさ……なクちゃ……」
「くっ……」
 ランシールは狙いをオルフェオにつけてにじり寄る。
 彼女の爪は肉食獣を想起させる鋭いものになっており、既に肉体は人のそれではなくなりつつある。
 危機を感じたオルフェオは焦り出したが、彼目掛けて振り下ろされた刃のような爪は大小の破片を振りまきながら壁を刮ぐ。
 身を低く、というより四つん這いになりながら、振られる爪を避けて逃げるオルフェオ。
 だが、扉にたどり着く事は出来なかった。
 今までの恨みも蓄積しているためか、ランシールは一撃で殺そうとしない。薄い傷を幾重にも付けていく。
 皮一枚を削ぐような傷が次第に増え、オルフェオの回避速度は遅くなる。すると、だんだん爪の一撃は重くなる。
「このババア、いい加減、に……!
俺を殺そうとするなら、娘がどうなっても――!」
 指先に魔力を溜めたまま、オルフェオはへたり込んで呆然としているシェリアに狙いを定める。
 これなら、我が子を守ろうとするランシールも手が出せないだろうと踏んだのだ。

 だが、ランシールの腕は躊躇うことなく振るわれた。
 
 オルフェオの腕は身体から易々と斬り払われ、宙を舞う。
「……あ?」
 何が起きたかを悟る前に、間の抜けた声がオルフェオの口から漏れ……ごとりと重い音を立てて、慣れ親しんだ右腕が床に落ちたのを見た。
 数秒遅れて、彼の口から絶叫がほとばしる。
 ランシールは落ちた腕に爪を立てて引き裂いていく。細切れにされた腕は、もう元通りになる事はないだろう。
「痛え……痛え、ちくしょう……! このクソババア、てめえ、俺の腕をよくも……! ぶっ殺してやる!!」
 腕を一本失って、冷静ではいられなくなったオルフェオ。血の滴る腕を押さえ、ランシールを怒りの形相で睨みつけた。
 此の期に及んでその悪態は見事なものだった――が、そこまでだった。
「ユルサナイ。コロす、ベルクラフト……あるガレス王家モ――殺ス!!」
 既に言葉の抑揚もおかしくなりつつあるランシール。
 唯一残されたとも言える明確な意志を口にして拳を握り、殺意の宣言が終わる前に渾身の力を込めてオルフェオへ叩き込む。
 その瞬間、シェリアは顔を背けて惨事を見ないようにと努めた。
 ランシールは幾度もオルフェオに腕を振るい続ける。その度に嫌な音が聞こえた。
「殺す、コロす……!」
 嫌な音と共に、母の狂気の叫びも同じ数だけ聞こえる。

――どうして、こんな。

 さっきは会えた事を喜び、笑ってくれてたのに。
 もうその面影もなく、この空間すら異様な空気に侵されている。
 母にはもう言葉が通じない。かもしれない、ではなく、はっきりそうだと感じさせられた。
 自分もいつかはこうなってしまうというなら――そのとき、自分は誰を手にかけてしまうのか。
 それが愛する者なら、どんなに悲しい事だろう。だからといって、憎い者なら良いというわけがない。
――どうしていいか、何もわからない。助けてあげたいのか、助けて欲しいのか、それすらわからない。
 そんな悲壮感に打ちのめされている彼女の腕を掴み、強く引っ張る者がいた。
「――!」
 驚きに目を剥くシェリア。悲鳴を上げなかったのは、ほぼ偶然に近い。
 腕を引いたのは一番最初に見た少年……アレッサンドロだった。
「静かに。早くここから……出るんだ」
 自分の唇の前で人差し指を立て、ランシールの方を注意深く見据えながら小声でシェリアにそう伝えると、先ほどより加減して再び腕を引く。
「出る、って……」
「しっ。立って」
 ランシールがオルフェオを殴りつける音に水音が混ざり初めている。
 彼女の身体に隠れているが……兄オルフェオはもう絶命しているに違いない、とアレッサンドロは確信している。
 遺体の損壊状態などもう想像すらしたくはなかったし、次に誰かがこうなるのなら事態は一刻を争う。
 アレッサンドロに引っ張られ、シェリアはノロノロと立ち上がり……彼の先導に任せるままになって歩く。
 重い身体を引きずるようにしながらその部屋を出ると、アレッサンドロは急に小走りになり、階段目指して廊下を進む。
「……階下に出たら、入り口はすぐだ。扉を開けたら道なりにまっすぐ逃げて」
「えっ……?」
 今、少年は逃げろと言わなかったか。
 間違いかもしれないため再度聞き返したシェリアに、アレッサンドロは複雑そうな目を向けた。
「オルフェオ兄さんは死んでしまった。セルージョ兄さんは……侵入者がいるって言って出て行ったきりどうなったかはまだ分からない。
かあ……あなたの母親も、きっとぼくと父さんを狙う。
それに、セルージョ兄さんが帰ってこないなら、侵入者って……もしかしたらあなたを迎えに来た奴なのかも」
「――!!」
 迎えに、と聞いた瞬間、シェリアの歩みが止まる。
「ちょっ……」
 面倒臭そうに腕を引くアレッサンドロ。だが、シェリアは動かない。
「何してるの。走って」
「……帰れない」
「は?」
 アレッサンドロが眉を顰め、シェリアの様子を伺うと……彼女は小さい子供のようにすすり泣き始めた。
「無理だよ……もう私」
「階段降りたらすぐだよ」
「ちがう、私はもう人間(わたし)じゃないのに、一体どこに帰るっていうの?」
 逃してくれるというなら、本当は喜んで仲間の元へと帰りたい。
 だが、オルフェオの言うことが本当なら、もう自分は異形のものなのだ。
 カインは、知らなかったら歓迎するだろう。黙っていれば――きっと、わからない。
 しかし、嘘はつきたくないし打ち明けた場合の反応も怖い。
 帰りたい。けれど帰れない。そして、いつ、魔物になるのか。
――もしかしたら、私が未来でカインを殺したのは……魔物になっちゃったから? そんな私なら、いらない……! だったら、私はどこにいるつもりなの……?
 否定する自分と、事実を受けとめようとする自分に苛まれ、シェリアは混乱しているようだった。
 そんなシェリアを見つめながら、アレッサンドロは自分がアレを汲んできたことを思う。
 壺になみなみと入っている赤茶色の液体。不思議な事に、あれは何度汲んでもなくならない。
 壺の底には蠢く『何か』があったが、それを取り出してみようとは思えなかった。いや、見てはいけないものだと本能が訴えていた。
 アレッサンドロはシェリアを初めて見たとき、特にこの女性がどうなろうと構わなかった。むしろ、散々な目に遭えば良いとすら感じていたのだ。
 しかし、オルフェオがシェリアの白い肌に自らが採取したあの液体を振りかけた瞬間、アレッサンドロは強い罪の意識を感じてしまった。
 母親によく似た女性を『人間でなくす』という後悔。
 そして、願うならば意識が戻らなかったら良いと――あるいは、人間としての知能や記憶の全てを失くして獣化してくれたのなら、どれだけ心は救われるだろう。
 だが、この人はそういう――不運を凝縮されるような星のもとに生まれてしまった。
 彼女は意識を取り戻し、変貌した母親を見て、自らの存在に苦悩して泣いている。
 泣いたところで閉ざされた運命の何が変わるというのか。そしてアレッサンドロ自身も、今更シェリアに手を差し伸べたところで、何の解決も見出せはしない。
 底なし沼に嵌れば上に行こうと沈もうと結果は同じ事。そこまで理解しつつ、アレッサンドロはシェリアを促す。
「……ここにいたって、なにも――」
 その時、アレッサンドロは『危ない』と叫びながらシェリアの身体を思い切り突き飛ばした。
「っう……?!」
 踏ん張りきれず、床に転がるシェリア。擦り傷を負ったようで腕がひりつく。
 慌てて傷口を確認すると、彼女の血液は――まだ赤い。
 安堵の息をついてから、アレッサンドロをやや非難する眼差しで見上げようとし……息を呑んだ。

 シェリアが見たものは、赤い光に胸を貫かれたまま宙に浮くアレッサンドロの姿。
「ね……、に、げ……ろ」
 少年の指が、力なく行けと振られる。言葉と共に口からごぼごぼと吐き出される鮮血は、彼の顎を伝い、服を染める。
「あ、ぁ……」
 床板にも流れ落ちた血液。シェリアは嫌がるように首を振り、数歩後ずさりしながら命の灯火が消えるのを見つめるしかなかった。
「フン……やはり情にほだされたか」
 アレッサンドロが床に倒れた瞬間、薄暗い通路の奥から魔術師の姿が浮かぶ。
 丁度吹き抜けの階段の前。入り口は見えているのに、行く手を阻むのは――禿頭の初老男性。
「あいつは優しい子だった。ベルクラフトでありながら、イリスクラフトへの怨みが薄すぎたのだ」
 手を下ろし、大股で歩み寄ってきた男性は、陰湿そうであり、狡賢そうな目をしている。
「例えグラナトコープスが身体に馴染んだとしても――逃げられると、期待していたのなら諦めなさい。
お前はもう人間じゃない。感情すら不要なのだ」



 丁度その頃、フィーアとリエルトはベルクラフトの屋敷前で転送魔法陣を目撃し、敵かと武器を構えながら様子を伺う……が、見覚えのある男性二人と、見知らぬ女子三人が出現した。
「……あら、ラーズさん」
「フィーア様……ご無事で良かった」
 危惧していた女の姿を認め、ラーズは幾分ほっとした様子だ。
 無事で良かったと漏らしたのは、本心から彼女の無事を喜んだほか、無茶な突入を試みていなかったことの安堵双方が含まれている。
 無論、そんな事はつゆ知らず。フィーアは穏やかに微笑み、視線をラーズの後方に投げてから目を大きく見開いた。
「あらあら……なんと、可愛らしい子、たち……って」
 フィーアの目はミュリエル、イルメラへと移り……そしてエルフの女の姿を捉えた。
 途端、フィーアの目はキュッと引き締まり、ずかずかと大股でエルフ女の前へと歩み寄って――ニッコリと微笑んだ。
「まあ、なんて美しい方なのかしら……って言わせたいんですの?
貴方、この非常時にご大層な美貌自慢ですか? ねえ、ふざけるなら今すぐ殺してしまいますわよ」
 流石に彼女の目を誤魔化すことはできなかったようだ。
 カインが一発で看破された事がおかしいのか、レティシスは堪えきれずブホッと噴き出し、慌てて口元を押さえて肩を震わせている。
 だが、どういう態度を取られても面白くないのはカインだ。笑われ、あげくに許嫁から殺してやろうかとまで言われているのだ。
「オレも好きでこんな事をやったんじゃない!!
フィーア王女、あなたは三国同盟をお忘れではないか?」
 カイン自身も指摘されて思い出したものだが、そこは告げずフィーアに問いただすと、彼女は言葉を詰まらせた。
「……そ、それくらい知ってますわよ? ええ、覚えていますもの。忘れるわけがありません」
 早口でそう言いつつ、そっぽを向いて咳払いをするフィーア。

――絶対忘れてたな。

 この場にいるほぼ全員がそう察知したが、これ以上事態をややこしくする必要もないため、皆指摘はしなかった。
「……つまり、同盟に触れない格好で乗り込んで来たと仰るわけね。
なら、わたくしは男装でもすれば良かったかしら」
 髪を右手で包むように握り、どこか気取った態度でカインを見上げるフィーア。
 イルメラが『カッコ良さそう』とキラキラした目でフィーアを見つめるため、ミュリエルは相棒であるおちびのおでこをペチリと叩いた。
「……いよいよベルクラフトと対面、といったところだが……」
 カインはそう言いながらもレナードへ視線を向け、なぜ連れて来たのかとフィーアへ聞いた。
「その男はこちらには何の利もあるまい。かえって目障りだ」
「カイン皇子、貴方のお気持ちもわかりますが、今は」
「次は誰を殺させる気です」
 次……それは、言うまでもなく『シェリアの後は誰を手にかけさせるつもりか』という皮肉だ。
 リエルトが目論んだ事象の結果なのだから、カインの態度はこれで当たり前ともいえよう。
 冷たい言葉を容赦なく浴びせられ、リエルトは何も言えず唇を引き結ぶ。
 甘んじてそれを受けながらも、記憶の中でも父は自分に笑いかけた事が無かったのをふと思い出す。
 一緒に行動したくないとはっきり告げるカインに、フィーアはわたくしの側に置きますからと珍しく食い下がっている。
 すると、カインは忌々しげにリエルトを一瞥し、ラーズ、と話を振った。
「お前はシェリアが殺されかけても、取り乱したりはしなかったが……あえて訊かせて貰いたい。
実の妹の事よりも、あの男のほうを庇い立てせざるを得ない理由はあるか?」
「……その質問への説明を全て省き、答えのみを告げるのなら……妹の安否より、彼の保護を優先しなければいけません」
「こんな男が、お前の中で……シェリアよりも優先順位が上なのか」
 カインは意外そうにラーズを見やり、ラーズも頷いてカインの目を見つめている。
「……はい」
「そんな馬鹿な話が――」
「皆さんお揃い……あれ?」
 何者も入り込めない張り詰めた空気は、駆けてきた恭介の声で不自然に崩された。
 一緒に駆けてきた羽猫……ルァンは恭介の後方に隠れながらも正確に女装したカインを看破したが、これはどういった状況なのかを不可思議そうに見つめている。
「カインさん、随分綺麗になったね」
「お前も着てみるといい。見世物のようで気分は最悪だぞ」
 恭介に肩をすくめてみせるカインは、もうラーズとの話を止めたのか、イルメラとミュリエルに向かってギルド側はどうするつもりなのかを訊く。
「突入後、ミュリエルは結界を張って、あたしは工房を調べさせて貰うんだ。ギルドに提出するための証拠を押さえる。
正直イリスクラフトとベルクラフトの戦いも興味あるけど、ギルドの仕事優先だし」
「イルメラが証拠を手に入れたら、その……先に撤収します。失礼な話、共倒れになったら危ないので……」
 ごめんなさいと頭を下げるミュリエルに、ラーズは構いませんよと承諾し、それでいいですねとカインへも尋ねた。
 カインも頷いたため、承諾されたと受け取っていいだろう。ミュリエルは再び頭を下げる。
「……館の中って、もう魔術ギルドで把握できてるのか?」
 レティシスがミュリエルに近づいてそう訊くと、彼女は少し頬を赤らめてから、視線を逸らし『大雑把な間取りなら』と返す。
「以前見取り図をベルクラフト側から提出された物がありまして、それが……えっと……これです」
 ごそごそと鞄の中を混ぜ返し、ようやく紙切れを引っ張り出すとレティシスはそれを受け取って開く。
 皆は彼の側に指示もないのに集まり、小さな紙片を一斉に覗き込んだ。
 現在立っている場所……玄関から中へ入ると、正面には二階への大きな階段。
 館の一階は左右に伸びる通路それぞれ二部屋ずつ客間があり、L字型の先……右角に客人用浴室、左角は食堂と応接室がある。
 それ以上のものは表記されておらず、二階の間取りも『居室』が三部屋、『住人用浴室』『書斎』だけだ。
「……適当すぎないか、これ? 窓とかないし」
「実際窓のようなものはほぼ見当たらないので……当時の担当が良しとしたのかも……」
 困惑するレティシスとミュリエル。が、フィーアは全部見て回ればいいでしょうと軽く言い放つ。
「不要な場所に時間をかけず、居室から……そうですわね、わたくしとキョウスケさんと……レナードさん、で。ラーズ様方は階下からどうぞ」
 そう言いながらリエルトを指し示すフィーア。
 正体を知っていてそれを隠し、自分と行動させるようにする配慮はリエルトにとってありがたいものだったが、反面でカインの心中も気になった。
「それは構いませんが、そのまま行かれるつもりか」
「王家のものを身につけておりませんし……結果、わたくしだと分からなければいいだけでしょう?」
 フィーアはベルクラフトとの因果はない。そのため、その作戦でもいいのだろうと恭介は告げるが、カインはそういうわけにもいかない。
 ベルクラフトはラーズのことはもとより皇子が金髪の年若い男性だと把握している。
 彼をカインだと見間違えたことを利用するため、カインは女装で身を隠し、レナードがカインではないかと警戒させておくに越した事はない。そう言うのだ。
 が、カインは別の事が気になったらしく、レナードに鋭い目を向ける。
「……そいつも金髪なのか」
「あ、あ~……ええと、どうだったかなあ……? 見間違えかも」
「見たのか、顔」
 うっかり口を滑らせたと気づいた恭介は、曖昧に誤魔化そうとするが、カインは『嘘は嫌いなのだろう』と言及してくる。
「……はい。僕の地毛は金髪です」
 返事に窮している恭介に変わり、リエルトはカインにそうはっきり告げて――目の色についても述べようとしたときのこと。
 突如、屋敷の中から破砕音と獣の咆吼が発され、彼らは反射的に閉ざされた扉に向く。
 何が起こっているかは不明だが、早急に踏み込まなければなるまい。
 レティシスは扉を開こうと手をかけたが、押しても引いても開かない。
「……開け放て(ル・ノヴラ)!」
 ラーズはレティシスをやや強引に扉から引きはがすと、呪文を唱えた。先ほどまでびくともしなかった扉は自ら開いていく。
 開ききるのを待てず、隙間へ滑り込むようにしてカインたちは中へと突入していく。
 戦闘となりそうな気配は濃厚だ。それを臆すようなそぶりもなく、イルメラは後方のミュリエルを振り返る。
「――ミュリエル、結界のこと頼んだよ!」
「わかった、から……早く帰ってきて」
「りょーかい!」
 呪文を詠唱し始めるミュリエルへ返事代わりに手を振ったイルメラも、扉の中に吸い込まれていく。

 僅か先に潜り込んでいたカイン達が見たものは、一匹の巨大な白銀の獣。
 それが、一人の老人に牙を剥き対峙している。
 老人の手には長い杖と――
 
「――シェリア!!」
 余程泣いたのか目を赤く腫らし、デルフィノに手首を魔術で縛められているシェリアの姿があった。

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タイトルとして使用させていただいているお題
【頭の中には泣きたいってことしかなくて】は、
蒼灰十字様よりお借りいたしました。