ルフティガルド戦乱:12話  私の知らない君がいた

 リフラムの関所を通過したと思いきや、身分証偽造という謂れ無い罪状で投獄されたカイン達は、既に三日を暗くて狭い牢獄で過ごしていた。
 牢獄はカインとラーズで一部屋、シェリアとレティシスで一部屋……という振り分けにされ、取り調べは一人一人個別に行われる。
 シェリアに至っては取り調べ後に泣きながら戻ってきたため、よもや辱めを受けたのではないかと危惧したレティシスだったが、一応彼女の所持していた身分証が本物だった場合には大変な事になると踏んだのだろう。
 彼女には女性の兵士が交代し、取り調べと身体検査を担当したそうだ。
 女性の前であろうと服を脱ぎ、調べられる事がとても恥ずかしかったらしい。
 いつもの服ではないにしろ、宿を出る際に着替えていた薄手のワンピース姿で女性兵士にここまで連れられてきたが、男性兵士の視線が妙に絡みつくのが嫌だったと言って、身体を丸めて壁際に座る。
 ここでシェリアの見目が麗しいからだと言ったところで何も慰めにならない事くらいは、レティシスも理解しているので困ったような顔で彼女を見つめるばかり。
 
 シェリアはラーズやカインと共に居ないのも不安の一つとなっているのだろう。悲しげに伏せられた銀のまつげは、涙で濡れている。
 昼は暑いが夜は少し寒い。今日は特に冷える。
 最後に洗ったのがいつなのかも分からぬ薄汚れた毛布は二人いるのに一枚しかない。
 どちらかに譲ってやりたかったが、相手にこの毛布を差し出す気もなかったし、ましてや互いの体温で暖を取るなんて思いつく事もシェリアとレティシスには一切なかった。
 シェリアは寒そうに腕を服の上からさすり、床に投げ出してある粗末な毛布を恨めしそうに見つめていた。
「あのさ、何日も着てるから、いい匂いではないけど……その毛布より、あればマシかなって思うんだ……」
 レティシスは、自分の着けていた上着を脱いでシェリアに差し出しつつ、早口でそう答える。
 拘束期間が長くなれば、やがて体調を崩すかもしれない。もっと早く渡してやれば良かったが、こんなにかかるとは思っていなかった。
 差し出された緑色の服を見てから、シェリアは意外そうにレティシスを見つめた。
「だめだよ、レティシスが寒くなるから……大丈夫」
「お、俺のことは平気だって。割と寒さに強いしさ、暑がりなんだよ……」
 気にしないでと笑顔を向けるレティシスに、シェリアは頭を下げながらありがとうと口にする。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……借りるね」
 おずおずと手を伸ばして服を受け取ると、腕の中に抱えるようにしてじっとしたまま。
 その仕草に所在なさを感じたレティシスは、自分の肩口に鼻を近づけて嗅いでいる。
「くさ……かったら、ごめんな」
「あ、いや、そうじゃなくて……」
 違う方を向いて欲しいと消え入りそうな声で言われたため、事情を理解した慌ててレティシスはシェリアが視界に映らぬ箇所に顔を向けた。
 しゅるりと衣擦れの音が聞こえてきたせいで、何故だか心が落ち着かないレティシスは、何度か繰り返し深呼吸までしている。
 そして彼女へ振っても良さげな話題がないかと懸命に考えていた。
「……本当、なんか、自分の知らない違う匂いがする……」
 シェリアがそう言ったため、ゆっくり振り返ると、自分の服に袖を通したシェリアがそこにいた。
 服は男物のため、彼女が着るとサイズが合わずに袖もだぼついているが、そこが随分可愛らしく見えて、レティシスは余計落ち着かない気分になる。
「い……いつになったら、ここから出られるんだろうなぁ……」
 適当な事を口走りながら、レティシスは冷たい鉄格子へ近づくと、格子の棒を握って視線を彷徨わせた。この牢獄の隣はカイン達がいるはずなのだが、彼らは殆ど喋らない。
「――なあ、カインさん。シェリアに服を貸したけど、何もしてないからな」
 隣へ向かって声をかけると、ややあってからカインが『分かっている』と返してきた。
 誰かに当たり散らす事はないにしろ、ここへ送られてから、カインの声はとても不機嫌そうである。
 身分が身分だけに、説明も通じずこんなところで拘留されては、さぞ怒りがこみ上げているのではなかろうか。
「会話も聞こえているし、シェリアに何かあれば精神の乱れをラーズが感知する。
無駄な気遣いは不要だ」
 そうなの? という視線をシェリアへ向けると、彼女はこくりと頷く。
「さっき、私が取り調べする時にも、兄様が呼んだ精霊が一緒だったの……だからどんな尋問を受けたかとか、ここでの会話は向こうで全部分かってると思うわ。
今はね、精霊はここを飛んでる」
 そう言ってシェリアが指さす場所には、何かがあるとは思えない、普通の空間。
 レティシスには何もないようにしか見えないが、魔術師には精霊がわかるのだろう。
「魔術師ってすごいな。
どこにも精霊なんて見えないよ、俺には」
「私も前は見えなかったの。見えるようになる訓練もずっとしてたのよ」
「ふぅん」
 そんな他愛ない話をしていると、遠くから床石を叩くような硬い靴音が複数響き、だんだんと音が大きくなり……こちらへ近づいてくる。
「……この方達が、本当に偽造を?」
 現れたのは、カイン達を拘束した兵士と、紅水晶のような淡いピンク色の髪をゆるく巻いた女性。
 彼女はレティシスの牢とカインのいる牢の間で立ち止まり、口を開いた。
「はい、その通りです。こいつが主犯格だと思われます」
 兵士の一人がカインを指し、ピンク色の髪の女性へ伝える。
 光沢があり、柔らかそうな生地で作られた白いショールの端を首の後ろに流してから、女性はしげしげとカインを見て――艶やかな赤い唇を再び開く。
「彼らを、わたくしの公務館へ。
貴方がたが連行なさったのなら、来た時と同じメンバーで連れてきなさい」
「はっ!」
 それだけ言うと、女性は踵を返してきた道を戻って行く。
 彼女の背を見送ってから、兵士達はゆっくりとレティシス達のほうへ振り返った。
「公務館にか……やっぱりお前ら罪人確定だな」
「何もしてないって言っただろ!」
 レティシスがそう噛み付くと、兵士はニヤニヤと笑ったまま、どうだかなあ、と意地悪く言い放つ。
「あのお方は厳しいぜ。
身分証偽造は大罪だ。最悪ペレンスポートに流刑だな」
 流刑と聞いたシェリアは、驚愕しつつも絶対に偽造してないと強く抗議したが、若い兵士は、女は流刑にならないかもな、と薄く笑った。
「特にあんたみたいな美人は、男に歓迎されるよ」
 その言いぐさにレティシスが顔を怒りに歪め、口を開きかけたとき――隣の牢からカインの声が聞こえた。
「……平和と愛を守護するアーディを信仰している国には、僧兵でも野卑な連中しかいないようだな」
「なんだぁ、コソ泥風情が……!」
 カインが不快そうに呟くと、兵士達は己の心の内を見透かされた為か、不必要に声を荒げてカインを恫喝する。
「おい、もう構うな。
あのお方は時間に厳しい、遅れては我らまで大変な事になるぞ」
 若い兵士がカインを打ち据えようと樫の長棍を構えたが、途中で指揮官が棍の先端を握って止めさせると、早くと急かす。
 皆無理矢理牢屋から引っ張り出され、数日ぶりに一行は互いの無事を確認する。
「カイン……!」
 心配そうに声をかけるシェリアに、カインは何も言うなといいたげな目を向け、先導されるままに歩き始めた。
 しかし、先の兵士は上司に宥められても腹の虫が治まらないのか、さっさと歩け、と罵声を浴びせてカインの背を棍で小突く。
 カインは特に言葉を発さず、言われるがまま歩くだけ。
 シェリアもラーズも、己の主君に暴力を与えられている事に抗議の声は上げなかった。
 小突かれる事を前提として、カインには防御の魔法がかかっているからだ。
 
 対象となっているカインの目には精霊の類など見えないが、何かの気配を感じる事はできる。
 今しがた叩かれた時、背には何の痛みも感覚もなかったのだ。
 アルガレス王家にルァンの加護があるとはいえ、既に物理的な攻撃を無効化できる程の力は無いとカインは感じているし、実際怪我は幾度となく経験しているので、加護がどの程度の効力なのかは分かっているつもりだ。
 それなのに、鎧を着ていないカインは痛みを感じることもなかったのだから――この現象はラーズかシェリアの力によるものだろう、というのも分かっていた。
 そしてシェリアが自分を呼んだ後に何かを短く発したのも聞こえていたから、彼女がカインを守ってくれていたのだろう。
 
 兵士達に引かれるまま詰所を出て街に出ると、通行人の好奇の視線を受けながら、白亜の建物へとやって来た。
 象牙色の石壁に覆われたアーチをくぐって長い廊下を渡り、カイン達は御簾のような極薄の布で覆われた部屋の前にやってきた。
 薄い布地で仕切られているとはいえ、部屋の奥にある窓辺がはっきりと見えるが、人物の姿は見えない。
 だが、部屋の一部しか見えていないため、どうやらこの部屋は横方向の奥行きが広いようである。
「通行証偽造の罪人を連行致しました」
 風にふわふわと揺れている青い薄布の向こう側へと声を上げる指揮官は、背筋をしゃんと伸ばして直立不動の姿勢で声を張り上げた。
「お待ちしていました。どうぞ、全員お入りなさい」
 先程聞いたと思われる女性の声が涼しげに響き、兵士達は目配せをしあいつつも、緊張した面持ちで、失礼致しますと声を出しながらカインらを押して入っていく。

 長い木製の机に肘をついて、顔の前で細い指先を組んでいる女性は、先ほど牢獄に来た者だ。
「ようこそ、遠路はるばるブレゼシュタットへ」
 藤の弦を編んだ椅子に腰掛けたまま、女性は歓迎じみた言葉を口にした。
カイン達は力で押されるようにして厚手の絨毯の上へ座らされ、女性に拝謁するような、上半身を折る姿勢にされている。
 そんなやりとりをどうにも思っていないのか、女性は自身の机に置かれたいくつかの書類を彼らの方へ向けながら見せる。
「……さて、貴方がたの調書は確認しました。
事もあろうに、身分証を王族や貴族などと偽った……そして、身分証の一つに、存在しない者がいたようですね」
「……すぐに調べられるのなら、関所を通過する前にして欲しかったが」
 カインが皮肉を込めてそう言ったが、女性は意外にもくすりと笑って右の口角を吊りあげ、兵士やカイン達を一人残らず見つめてから、ゆっくりとした口調で説明を始めた。
「一時間に一度、鳩が通行者のリストをリフラムへ運ぶのです。
受け取った側はすぐに受け取った旨の鳩を飛ばし、リストを転記・照合していくのですわ。
その後……各国の調査官へ、真偽を確かめるため水晶球で会話致します。
調査官は大概発行者のリストを持っていますから、それで確認作業を。
そして――……アルガレスでは四名。
一人は偽名でしたが、アルガレス帝国の密使であることは照合済みですの。
ミ・エラス共和国の平民男性も、著名なクラーレシュライフの身内の方と判明しましたし、不問。
残念ながら、本当に偽造した女性こそを――逃したのですわ。
そして、彼らとの因果関係は不明。そこを調査されていない……どういうことですの?」
 柔らかい光を放っていた紫色の瞳は、突如として鋭い眼光へと変わり、兵士らは声を震わせながら、お許しくださいと膝を折る。
「こ、こいつらが口を割りませんので、隠しているのではないかと――」
「……投獄には十分気をつける。
ましてや、疑わしき者がいるなら特に気をつける。
女性は投獄後、罪状が確定するまでは労る、恥ずかしい思いなどさせてはならない――そう言い聞かせましたわよね」
 ぎちり、と椅子を軋ませて立ち上がる女性は、ゆっくりと兵士達の前に歩み寄り、指揮官の前で立ち止まる。
「無能な指揮官様……さあ、手を床につきなさい。その部下もです」
「……お許しを」
 縋るような目つきで女性を見つめる兵士達。指揮官ですら先程の態度は鳴りを潜め、恐怖によって呼吸を乱していた。
「手を床に」
 しかし、それでも女性の態度は変わらない。
 もう一度静かに毅然とした態度で言い放つと、革製の長いベルトを自分の腰から引き抜き、両端を握るとぱしんと打ち合わせて高い音を鳴らす。
 覚悟を決めたように手を出した兵へ、女性は『愚者に罰を』と厳かに言い放ち、自らの足を彼らの指先へ躊躇いもなく乗せた。
「あぁあぁ……!!」
 しかし、つま先ではなく――ヒールで指の関節をギリギリと踏まれ、耐えきれず悲鳴を上げた指揮官の首へ、ベルトを絡ませてぐいぐいと締め上げる。
「――学べないであろうお馬鹿さんな貴方へ、わたくしが特別に教えて差し上げますわ。
貴方たちが愚かにも手を上げた金髪の男性は、正真正銘アルガレス帝国の皇子カイン・ラエルテ・アルガレス様。
そして、この銀髪の男女はアルガレス帝国、クライヴェルグ王国両方の公爵……イリスクラフト家の方ですの」
「ヒッ……、お、王族!?」
「ええ……大変なことをしてくれたものね、凄いわ……。
アルガレスとの戦争が起ってしまうかもしれない程ですもの……あなたたちがここで自害しても、もうどうにもなりませんわ」
 男の上ずった悲鳴を聞きながら、うっとりと甘く囁くように話す女性は、思わぬ事を口にした。
「――女性の方は、シェリア・イリスクラフト様。
わたくしと同じ、カイン様のもう一人の婚約者ですわ」
「……えっ?」
 思わず声を上げたのは、兵士達ではなくシェリアのほうだった。
 婚約者とはどういうことか、と困惑した様子でカインの方を思わず見たが、当のカインでさえ我が耳を疑った様子で、シェリアの視線を受けながらもはっきりと首を横に振った。
「……ふふ、どうやらアルガレス帝国側のお話は後で良いでしょう。
とにかく、我が国の兵が大変な無礼を致しました。
神聖王国ブレゼシュタットの第二王女として、深くお詫び申し上げます」
 そう言って、次の兵士の指に爪先を乗せたまま、優雅にターンしてカイン達を振り返ると、両のドレスの裾を持ち上げ、深々と頭を下げた。
 めきり、という音が聞こえたが、第二王女と名乗る女性は一向に悪びれた様子はない。
 乗られた兵士は、脂汗を流しながらも必死の形相で悲鳴を押し殺し、次に控えた兵士は既に彼女や自分らが罪人としたカイン達を見ようともしない。
 小鼠のようにふるふると震え、目は恐怖のせいで視線が泳ぐ。
 冷や汗をたらたらと流して、自らに下される裁きを待っている姿は同情すら誘う。
「……あの、もう、この人達を許してあげては……」
 シェリアが痛ましい顔をして、苦悶の表情で耐えている兵士達を見つめながら、届くかどうか分からぬ声で女性へと意見する。
「あら。彼らは自分で犯した罪を償うべきなのですわ。
貴女はひどい言動で辛い思いをされたのでしょう? 彼らは何も恥ずかしくない。これでも軽いくらいですのよ?」
「でも……」
「でも、可哀相……、と続くのなら、同情は不要です。これが我が国の刑罰の一つですから」
 シェリアに優しく微笑むと、女性は戸口に向かって『誰かいらして?』と声をかける。
 すると、二人の侍女がやってきたので、国賓であるから最たる持て成しをするようにと告げて、次の兵士へ懲罰を与えた。

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タイトルとして使用させていただいているお題
【私の知らない君がいた】は、
 はちみつトースト様よりお借りいたしました。

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