異世界の姫君:92話

 睨みあう2人の間を遮るものは何もないというのに、10年という歳月は既に双方の立っている世界を全く別の物へと変えてしまっていた。
 片方は、かつての仲間を守るために。
 もう片方は、主君の為に。
 ともに戦った『仲間』を、傷つけようとしているのだ。

 レティシスの太刀筋を、ラーズは幾度も見てきた。
 その間合いも、振るう際の力強さも知っている。
 剣の間合いに入らせなければ、ラーズの有利に事は運べる――それをお互い認識し、睨み合った。

「ラーズ。あんたはなぜ、カインに従う?
 そうしなければならない理由があるのか?」
「イリスクラフトは代々、アルガレス王家に仕える、というのは旧(ふる)くからの盟約です。
 ですからわたしも妹も、そうすることが当然だと思っています」
 疑う余地すら無いというような口ぶりのラーズへ、レティシスはくだらないと吐き捨てる。
「あんたは従っていたのかもしれないが、
 シェリアは仕えてなんか――……カインを、そんな主従の目では見ていなかった。
 カインだって、そうは見ていなかったかもしれない」
 幼なじみでもあったから、恋愛的な感情はなかったのかもしれないが……それでも、レティシスには、シェリアがカインを好いているのくらいは分かっていた。
 だから、余計に。

「シェリアは、カインを魔王になんかさせたくなかったんだ。でも、誰かがそうなるしかなかったから――……」
「……もういいでしょう、レティシス。
 あなたの内容の見えない話など、ただの時間の無駄です。
 わたしは早くカインに合流し、補佐しなければなりませんから」
 もはや、殺し合いは避けられません――それは、宣告のようなものだった。
「カインも今頃、リスピアの騎士と戦っている頃だ。あいつらは女王が大好きだからな。
 あんたと違って、傀儡(かいらい)ではなく意志のある忠誠なんだぜ?  少し見習ったらどうだ」
「黙りなさい――!!」
 激昂したラーズの指先から稲妻がほとばしり、レティシスめがけて突き進む。
 跳躍してそれを避けたレティシスの足下を電撃が通過していき、大地の表面に電光を散らして消える。
 空中で剣を振りかぶり、頭と胴を狙うレティシス。ラーズは障壁を展開し、剣を防御すると風を操る魔法を唱えた。
 嵐に匹敵するくらいの突風が吹き荒れ剣士の身体を押し、体勢を崩して着地したところへ、追撃のように氷のつぶてを見舞った。
「くッ……!」
 剣を盾にしてそれを防ぎ、レティシスは歯を食いしばる。
 氷の当たった箇所が、痛みが走った後は麻痺したように感覚がない。
 だが、それもすぐに取れるだろう。レティシスは再び間合いを詰めるべく動き、ラーズは障壁を張った。
 ――さすがに、ラーズは厄介だな。
 止めなければならないのは百も承知ではあったが、些(いささ)か分の悪い闘いになる。
 かといってカインが相手であっても、どちらかといえば不利な状況ではあるが――近づいても遠のいても、あの魔術師にはそれなりの防御も攻撃方法もある。
 かといって、レティシスは魔法に対する抵抗が高いわけではない。
 長引けば長引くほど自分が不利になっていく。
 近づけばラーズは防御の障壁を張り、遠のけば自分の攻撃手段はない。
 かといって、何か有益な魔法が使えるわけではないし、そうしたところでラーズは『魔法』の対処法を熟知しているはずだ。
 あの障壁を破ることさえ出来れば、ラーズを撃退、あるいは――倒すことが出来るだろう。
 斬りこむ際、障壁を張ることが出来ない一瞬があればいいのだ。
 もう一度、探りを入れながら斬りかかるレティシスではあったが、再びラーズの障壁は展開され弾かれて、手痛い攻撃を食らう。
「レティシス、あなたではわたしに勝てない」
 諦めなさい、と静かな声音で魔術師は諭すように言うのだが、レティシスは諦めたりはしない。
「そういうのは、俺を殺してから言うものだろ。気が早いぞ、ラーズ……?」
 それに、約束もあるんでな――と独り言のように口の中で呟くレティシスは、ふっと笑った。
「お姫様は人使いが荒くてね。リスピアなんかで暮らしてるから、将来もっと酷くなるんだろうな」
 再び蹴立てたレティシスに、無駄ですと言って杖を向けたラーズは――再び氷の魔法を唱えるが、今度は鋭利な氷柱(ひょうちゅう)を何本も出現させた。
 チッと舌打ちしたレティシス。これは無数に繰り出されるのだろう。どれくらい近づくまで避けられるか――だが、1本でも刺されば、次の攻撃を避けようがない。たちまち身体は風穴だらけになるだろう。

 肌の表面へちりちりと迫り感じる死の予感。
 圧倒的に――不利であった。

「勝てないと知りつつ、なお向かってくる気概があるのは素晴らしい……。
 だが、それは愚鈍というもの。そんな戦いは、無駄にしかならないのですよ、レティシス!」
 哀れみの視線を向けつつも、勝利の感触を掴んだラーズの表情は決して暗くはない。
 彼を貫こうとする氷柱をぎっと睨みつけたレティシスは、何本叩き壊せるか試算する。
 しかし、ラーズが氷柱を向かわせようとした次の瞬間、ぱちん、と指を鳴らす音と――

「――全固定(アクルテ)」

 謎の言葉が響き渡る。

 すると、動き出そうとしていた氷柱はびたりと動きを止めた。
「なっ――!?」
 何事かと驚くラーズだったが、そればかりではなかった。
 彼の視界を奪うように、虚空から全身を燃え盛らせる巨大な虎が現れて襲いかかってきたのだ。
 とっさにその爪を避けたラーズだったが、避けたその場に……再び謎の言葉が響いた。
「止まれ(ハージェ)!」
 次々と足元に襲い掛かってくる氷柱にたたらを踏んだラーズ。顔に動揺と焦りが浮いている。
 ――いったい何が。
 レティシスに魔法は使えなかったはずだし、別の男の声も聞こえたはずなのだが――?
 そう思った瞬間。自分の体から、衝撃と鈍い音が聞こえた。
「な……?」
 何事だ、と吐き出そうとした口からは言葉ではなく、鮮血が溢れる。
 先ほどの虎はもう消えていた。

「……なんだか知らないが。勝ったような顔をするのは、相手を捉えてからにするべきだったな、ラーズ」
 自分の鳩尾を、レティシスが深々と貫いていた。
 剣を引きぬいて、とどめを刺そうとするかと思いきや……レティシスは躇った後、剣を引いた。
「……もう帰れよ。治療しないと助からないし、カインもお前を失う訳にはいかないんだろ。
 当分傷は癒えないだろうから、ここには攻めこむなよ」
「……っ、レティ、シス……あなたは、情けをかけようと……いうつもりですか……!」
 ぜいぜいと荒い息をつくラーズに、なんとでも思えと言った赤毛の男は、追い返すような手振りをする。
 ラーズは暫し彼を睨んでいたが、すぐに彼の身体は光の柱に飲まれ、消えた。

「あーあ。逃しちゃった。殺してくれないと、うちの国がまた苦労するんだけど」
 戦闘に不釣り合いな間延びした声に、後方を振り返るレティシスは怪訝そうな顔をする。
 銀髪に赤い瞳。右手で左肩を押さえているが、この顔は見覚えがあった。
「……レスター=ルガーテ……?」
「弟だよ、それは。俺はイネス。アヤ様の執事で――罠師(トラップマイスター)だ」
 訊いたことのない職業に、眉を顰めたレティシスだったが……さっきの虎もあんたか、と尋ねれば首を横に振られ、何やらびっしりと文字の書かれた札を見せられた。
「アニス様だよ。彼女に術符を作ってもらったのさ。
 マイスターは、罠を張って敵を揺さぶるのが仕事。上手くいくかは五分だったけどね」
 城壁に居たイネスは、赤い光を見た瞬間に嫌な予感を覚え、素早く退避したようだったが……爆風に煽られ、肩を強打したようだが、それ以外は大した怪我もなかったらしい。
 それから物陰より機会を伺っていたのだが、絶好のタイミングだったとイネスは笑みを零した。
「マジックマスターの魔法を止めることもできるなんて、自慢になるよ」
「まぐれだろ、そんなの。あんたに意識が向いてたら、ラーズの精神力のほうが勝っただろうぜ」
 意地悪く言ってやったが、まぐれかどうかはわからない。
 しかし、助かったことは事実である。

「……命拾いした。ありがとう」
「どういたしまして」
 にこりと微笑んだイネスは、激戦であろう執務室の方を見上げた。
「あちらのほうは、俺では手伝えないからね……」

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