異世界の姫君:67話

 4人は白い建物--……水の離宮へたどり着くと、すぐにレスターは異常がないかを確認しようとするのだが、
 中に入ろうとした途端、ルエリアから『待て』と止められた。
「陛下……?」
 不思議そうな表情を浮かべたレスターだったが、なぜ気がつかぬとルエリアは嫌そうな顔をしながら己の姿を見てみろといった。
「おまえは血で生臭い。そんな態(なり)で、我が離宮に踏み入れるつもりか」
「っ……申し訳ございません……配慮が足りませんでした」
 レスターとてこのままで居たいとは思っていなかったが、
 やはり指摘されると身の置きどころがないようで数歩下がり、今更ながらに己が放つ臭いを嗅ぎ、給仕服を見やる。
 血がこびりついたところは既に凝固しているが、鼻につく鉄のような臭いに、今更レスターも顔を歪めた。
(嫌な臭いだ……)
 嗅ぎたくもない臭いのせいか。頭の中で閉じ込めておきたい記憶がじわじわと浮かび上がる。

『――レスター、お願いがあるの』
 記憶の中で母親の唇が、小さく動いた。
『  ……  、  ――で』
 かすれる言葉は、断片的であったはずなのに……脳がしっかり補い、繋げてくれる。
 そうして、訪れたのは痛みとともにゆっくりと伝う緋色の海。
『だって……  レスターさえ……    生きていける――』
 また、その唇が動いた。記憶の中で何度も聞いた、あの言葉。
 嫌だ。嫌だ、何も聞きたくない!!
 心を閉ざそうとしても、その言葉は離れない。

「――……レスター様?」
 母親の声とは違う女の声が近くで聞こえて、アヤだと認識した途端、レスターの意識は引き戻される。
 何故だか苦しそうな表情をしていたので、具合が悪いのか、はたまた指摘されたことを気にしてしまったのか?
 そう思ったアヤがレスターを気遣うように近づいてた途端、彼は表情を強張らせ、アヤから視線を逸らしてしまう。
(レスター様……?)
 その態度に胸がかすかな動揺と痛みを伝えてくるが、なぜだか……顔を上げたレスターは怯えたような目をしていた。
 一体どうしたのかと思っていると、ルエリアはやってきた通路の方を見つめたまま、リネットへ話しかけている。
「……ふむ。そろそろアニスが来る頃だ。中に入って待つつもりだが、レスターがこれでは、ここに立たせていても影響があるな……リネット。こちらの離宮のことはわかるか?」
 急に話を振られたが、リネットは背をしゃんと伸ばし、はいと元気良く答える。
 ルエリアのドレスはきちんとかけてあるし、毎日侍女たちの掃除もしっかり行き届いているため、いつでも使える状態になっていること。
 窓にも結界は張ってあるとも答えた。それを聞きながらルエリアは扇で肩をトントンと叩き、瞬時に判断を下す。
「結界はアニスに張らせれば破れないだろうから構わぬ。男用の服はあるか?」
「え……男性用のは……ありません。ですが、タオル地のローブのようなものは、湯上りに着て頂けるよう置いてあります」
 確かそれを着たことがあったのでアヤも覚えている。割と吸水性もあったし、あたたかくて気持ちよかった。
(でも……ルエリア様、今のレスター様がどんな表情をしてたとか見てたのかな……。それとも何か事情があるの……?)
 洞察力に長けた女性だなと感心しきりのアヤだったが、その間にもルエリアの判断は進んでいく。
「ではイネスにレスターの服を持ってこさせるか。その間、全裸というわけにはいかぬからローブでも着せておけばいい。
 ……レスター、特別にここへ入れてやるから、お前はまず風呂に入れ」
「…………大変ありがたいお言葉ではありますが、陛下の離宮でそれは……」
「余がいいといっている。不服か」
「滅相もございません」
 レスターが恐縮すると当然だ、とルエリアは答え、アヤを見ると……悪戯を思いついたような顔をした。
「なんだったら、アヤ。一緒に入ってやれ。レスターはお前の側にいなければ、落ち着かないようだ」
『はぁ!?』
 レスターもアヤも同時に妙な声を出して驚いている。リネットの顔が輝いたのはもはや語る必要もない。
「へ、陛下、おたわむれを。いくらなんでも、それは遊びすぎです」
「どうしてだ。ただ風呂場に入るだけだ」
「それはそうですが、わたしは裸に……」
 しどろもどろになっていくレスターが面白いのだろう。ルエリアは考えすぎだと一蹴し、レスターはまだ良くないとしつこく食い下がっていた。
「煩いやつだな。ではアヤは服を脱がずに入り口へ座らせておけばいいだろう」
 どうせ足も出ているし、下着とさほど変わりあるまい。などとルエリアは指摘する。
「…………あ……」
「不満か、レスター?」
「いえ……」
 レスターが困っているようなので、アヤは助け舟を出そう――と己を奮い立たせる。
「わ、私、レスター様の背中くらいなら洗って差し上げますから!  髪の毛とか……!」
「ならぬ。服はアンジェラのものだ。不用意に汚すな」
「そ、そうですよね……」
「レスターもアヤに脱がれては困るだろう?  洗ってもらうだけでは……済まなくなるかもしれぬしな」
 意味を察知したアヤは、そんな事、と言いよどむ。そんな明らかに楽しんでいるであろう主君に、レスターは陛下、と厳しい顔を見せると、一人で入ると告げた。
「しかし…恐れながら申し上げますと、わたしが入浴するのと衣服を取りに戻る間……陛下がこの離宮内にいてくださるのなら、
 今なら狙われることもないでしょうし問題ありません。ましてやアニス様もいらっしゃるとあれば……」
「うむ。しかしな、レスター。結界を張れば出入りはかなり制限される。余でもアニスの結界を通るのは難しい」
 リスピア最強の結界は、ルエリアでも手を焼くらしい。
「二度もかけ直すのは面倒だ。だから、ここにいろと言っている」
「しかし、イネスもやってくるのでしょう。それは――」
 いい加減煮え切らぬ態度に、ルエリアも対応が面倒になったのだろう。
 黙って言うことを聞けと叱り飛ばされたレスターは、とっさに姿勢を正して了承の意を示す。
 ようやく不毛な押し問答が終わり、ルエリアは室内に足を踏み入れた。
 部屋の大きさは、月の離宮と比べて2倍程度広い。部屋も4つほど分かれているようだが、1人でこんなに使うのだろうか。
「滞在するには、数人で来る客人もいるのだ。余が気に入っているこの離宮を貸してやることは少ないのだが」
 アヤの視線を追い、疑問に思ったであろうことを教えたルエリアは、レスターに浴室はそこだと扇で指し示して教えてやり、リネットが案内を申し出た。
 2人の姿が見えなくなると、ルエリアはアヤにこう訊く。

「レスターの態度が気になるか?」
 前置きすらない、直接的な言葉だった。
「……はい。急に、その……」
「態度が変わったのは、奴の心の傷が原因だろうな。奴は、時折戦闘後に感情が抑えきれぬのだと、ヒューバートが言っていた。
 暴れる訳でも問題があるわけでもなかったゆえ、そのままにしているが……」
 特に血が大量に流れるようなときは、よくああなる――と言うから、何度かその様子を見てきているということだろうか。
 しかも、ずっと放っておくままだ。他人の事だからかもしれないが、アヤは少しばかり腹が立った。どうもレスターの事になると、冷静さが欠ける。
「医師のマルティンさんには……?」
「体の傷を治す医師に見せてどうするのだ」
「心の傷を癒す医師は、いらっしゃらないのですか?」
 おまえの国にはそんなものがいるのか、という答えからしてこの国……いや、世界において、臨床心理士のような人はいないと悟った。
「……あ。神父様などはどうでしょう。悩みを聞いてくださったり、アドバイスをくださったり……?」
「確かにそういったことを行うのは奴らの役目でもあるが……神父は人間や亜種族には手を差し伸べても、魔族にはその手を引っ込めるぞ」
 何せ、奴らを悪として教えているのだからな、という言葉。でも、とアヤは首を振る。
「でも……!  レスター様やイネスさんは悪い人ではありません」
「だから余のもとで使っている。しかし……心に傷を持たぬものはいない。
 レスターにとっては、血を見るとその傷を思い出すのだろう」
 自分で克服するしかあるまいと言いつつ、ルエリアはアヤの顔色を伺う。
 彼女は柳眉を寄せたままルエリアに話しかけもせず……納得いかないという顔をしていた。
 大方、レスターの事を考えているに違いない。
「……相談してくれたらいいのに……」
「よほど信頼して心を許さぬ限り……惚れた女に、己の見せたくない部分など吐けるはずもなかろう」
 アヤとて、それはわかっているつもりだ。わかっていても、相手の力になってあげたいと思う。
「そんなに心配するなら、レスターのところへ行って聞いてみるが良かろう」
 ふ、とルエリアが意地悪く言えば、アヤはそうしますと頷いて2人の後を追う。目はまだ見えづらいが、歩くだけなら問題ない。
 その迷いのない様子に目を見はったルエリアだったが、好きなようにさせようと思ったので止めはしなかった。
 アヤは扉の前でリネットとすれ違ったが、軽く彼女に挨拶をするとノックもせずに目の前の扉を開いてずかずか奥へ入っていく。その先はもう一つ扉を隔てて脱衣所があるはずだ……。
「…………!?」
 リネットは、急いでルエリアの様子を伺えば……彼女は椅子に座ってくつろいでいる。
(陛下がお止めにならないのは何かお考えあってなのだろう……けど……)
 この後がどうなるのか気になってしょうがない。もしかしたらレスターは服を脱ぎさっているかもしれない。
(どうしましょう……アヤ様には刺激が強いんじゃ……!)
 止めるのは惜しいが、止めないともっと大変なことになるのでは……!?  ああ、でも、ちょっと見たい……!
 リネットの葛藤を見ぬいたのか、椅子に座ったまま『放っておけ』と命令する。
「まずければ頃合いを見て、引っ張り出せばいい」
 頃合いと言われても、と、リネットは浴室がある方を振り返る。
(…………頃合いって……)
 そこから先は、考えてはいけない気がした。

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