異世界の姫君:43話

 人物の顔よりも先に目に飛び込んでくるのは赤い鎧姿だった。そして、長い紫色の髪を後ろで結んだ、ポニーテール。
 青色のタレ目男は腕組みしつつ、こちらを……いや、レスターを見つめている。
「もうそろそろ練習が始まっちまうぜ?  何日も姿が見えないと思ったら、お姫様の護衛に選ばれたんだって?」
 お前がねぇ、と言いながら、ふてぶてしい顔つきでレスターに話しかけている。しかし、このポニーテール男の眼には、嫌悪のようなものも見て取れた。
「……レスター様、この方は……?」
 隣でアヤがレスターの外套(がいとう)をくいと軽く引いて尋ねるのだが、視力が絶賛低下中のアヤにとっては、赤い男の顔など、ぼやけすぎていてよく分からない。
 目が元通りであったなら、その男がそれなりに美形であり、レスターにどんな視線を向けているかも見えただろうが――美醜は判別不能だろう。ただ、聞こえてきた声が嫌な含みを持ったものだったのだけは理解した。
「ロベルト・アーベントロート。わたしと同じく聖騎士の階級で、暁色の騎士とも呼ばれています」
 そんなアヤに視線を向け、レスターはポニーテール男……ロベルトの説明をする。
「暁色の……騎士」
 アヤが小さく二つ名を呟くと、ロベルトはアヤに大仰な礼をした。
――そんな人、知らないなぁ……。
 顔も見えないし、ロベルトという名前も聞いたことがない。そして、聖騎士はレスターだけではなかったようだ、というのが一番意外だった。
 聖騎士が何人もいるのであれば、神格騎士とて数人いるのかもしれないな、と思い浮かべたきりだ。
「只今、レスターの口より紹介のありました……ロベルト・アーベントロートと申します。それとも、二つ名のほうが耳通りが良いでしょうか?」
 知っているのも当然だというような顔をして、ロベルトはアヤの表情をじろじろと無遠慮に見つめている。
 それに気づいたレスターが、露骨に嫌そうな顔をして無礼だぞとたしなめたが、赤い騎士はレスターの言葉には耳を貸さない。
「姫も大変ですねぇ。こんな男と四六時中一緒に居なければいけないなんて……魔族の男と一緒なんて、お嫌でしょう?」
 その言葉に、つい苛立ちを覚えたレスターの目がきつくなる。それを見て、ロベルトはふんと鼻で笑った。
「怒るなよ――本当のことだろ?  何かあってからじゃ遅いんだから」
 くすりと笑ったらしき声を聞き、アヤは首を傾げてから――『ロベルトさん、でしたか』と話しかける。
 それに気を良くしたらしいロベルトは、なんでしょうかとアヤに歩み寄った。
「……いつも、レスター様とはそんなふうにされているのですか?  特に仲がおよろしく……ない?」
「ええ、まあ。しかし、姫も冗談がお好きですね。俺がこんな男と仲良くなるわけがないでしょう。だって魔族なんですよ?」
 親指でレスターを示したようだが、アヤは『そうですね』と目を閉じて頷いた。
「魔族との混血だと聞き及んでおります」
 静かに告げたアヤの言葉を、レスターは黙って聞いていた。そこには怒りや悲しみというものもなく――アヤの態度がなにか変だと、違和感を覚えたせいだ。そして、アヤはロベルトにこう伝えた。
「ロベルトさん、少し屈んでくださいますか。私の目線と同じ程度に……」
「……こう、ですか?」
 はい、ともう一度だけ頷いたアヤは、息を吸った後――きゅっと眉を吊り上げ、騎士の眼前に来るや否や右手を大きく振り上げ、ロベルトの右頬を強く打った。
 ぱぁん、と通路に反響する平手打ちの音。

「なっ……に、す……!」
 思わず頬を抑え、驚きと怒りにアヤを睨みつけたロベルト。言葉は怒りのため、もはや形を為さない。
 アヤはアヤで、レスターに右手を押さえられ、何をなさるのですかとやや強い口調で問われていた。
 しかし黒き姫君は、レスターを見ずにロベルトの事を、怒気をはらんだ目で見つめているではないか。
「……良いですか、ロベルト・アーベントロート。
 ここにいるレスター=ルガーテは、リスピア国女王、ルエリア様が適当に選んだわけではありません。
 私が彼を気に入っているからこそ、厚意で叶えて下さったのです。
 彼が魔族であろうとなかろうと、そんな事はどうだっていいのです」
 そうして、左手をレスターの掌の上に置くと、もっと言ってしまいますと、と更に言葉を重ねた。
「私は暁の騎士という二つ名を存じ上げません。この国の聖騎士は、白銀の騎士のみだと思っておりましたから」
 その言葉に、愚弄されたような響きがあったのだろう。ロベルトは口を開いたが、アヤは『悔しいのですか』と聞いてくる。
「……騎士が女性の前で、同僚に辱められることとどちらが恥ですか。私は騎士の作法を詳しく知りませんが……人としてならわかります。
 口に出さなくていいことまで出して傷つけるのは、好感が持てません。というか、嫌いです」
 初対面の女に平手打ちされ、嫌いとまで言わしめた男、ロベルトは……顔を怒りや恥辱のために赤く染め、小刻みに震えていた。
「姫……もう参りましょう。ロベルトも、すまな……」
 謝る必要はないでしょう、と、眠そうな顔のイネスがティーセットを片手に通路の奥からやってきていた。
 まだリネットの姿は見当たらない。イネスは挑戦的な目でロベルトを見つめ、にこりと形だけの笑みを見せた
「ロベルト様、どうぞこの場はお収め願います。騒ぎになって陛下のお耳汚しとなっては、貴方のお名前にも傷がつきましょう?」
――『魔族』の事に、関わり合いになりたくないのなら尚更です――
 そう言った途端、魔族風情が、と悪態をついたロベルトはアヤを射抜くような視線で睨みつけてから、レスターを見ずに足早に立ち去っていく。どうやら、練兵場へと向かったようだ。
 その背中を見送りながら、イネスは『相変わらずだねぇ、あの人……』と肩をすくめた。
 魔族によっぽど恨みがあるんだろうね、といった矢先、アヤが腰から崩れ落ちる。
「姫……!」
 慌ててレスターが手を添え、アヤの身体を支えるが、レスターは思わず表情を強ばらせた。
 アヤの身体は、震えていたのだ。

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