異世界の姫君:41話

 太陽の姿はなくとも空がだんだん白(しら)んで来た頃、リネットがそっと離宮へやってきた。
 スカートのポケットに入れておいた金色の鍵を取り出すと解錠し、扉を押し開けると――レスターは、しっかり目を開けてこちらを見ている。
 リネットはそこから背伸びをしつつ寝室を覗き見て、アヤが寝ているようだと確認すると小声でおはようございます、とレスターに挨拶した。
「起こしてしまいました?」
「いえ、少し前から起きていましたが……クッションでも敷けばよかった。背中が痛い」
 背中を軽く押さえつつ、レスターは毛布を持って立ち上がる。それを軽く畳みながら、リネット殿、と呼んだ。
「はい?」
「昨日はとても寝苦しかった。次は寝室の扉を閉めて出ていってください」
 レスターはわざと視線をそらすリネットへ、じろ、と非難するような眼差しを向け、
 いいですねともう一度念押しし、彼女は渋々分かりましたと返事をする。これで少しは反省したかと思ったが、このメイドの眼はまだ諦めていない。
 またなにか新しい手法で攻めてくるのだろう……。そこまでのガッツは賞賛に値するが、もう少し他のところで使っていただけないものだろうか。
 そんな事を考えていると、リネットは宝珠のペンダントを取り出し、結界を解いていく。相変わらず便利だなと見ていた視線が気になったのだろう。リネットは手を止めて、後ろを振り返る。
「アヤ様のお召変えも行いますので、レスター様は出ていってくださいませんか?」
「ああ、そうか……」
 では、顔を洗って髭でも剃ってこようと言い残し、若干眠い顔のまま出ていったのを確認すると、ようやくその場で一礼し、アヤに声をかけた。

「――えっ、レスター様、髭生えるの?」
 着替えを手伝ってやりながら彼女が起床するまでの話をしてやると、そこで妙にアヤが驚いている。そして、リネットもその反応には驚きを禁じ得ない。
「そ、そりゃ生えますでしょう!  あまり濃くはなさそうでしたけど……」
 ヒューバート様も生えるのかと聞けば、リネットはショックを受けたような顔で、当たり前のことを今更聴き始めたアヤのことを痛ましそうに見つめて……生えます、と答える。
「……そう、だよね……生きてるんだもの……うん……」
 アヤはしみじみ呟くと、なんでもないから気にしないで、とリネットに明るい声で伝える。
 今更『そういう生理現象もあるなんて実感が湧かなかったの』と説明しても伝わるまい。
 皆からすれば逆に、アヤのほうが余程美化されていたりするのだが、それは本人も気づいていない。
「あ。お医者様のところにも先に行くって聞いていたけど、どうしよう……顔を洗うのにも、包帯が巻かれたままだと洗えないですね……」
「それもそうですね……外すなと言われておりましたし、ちょっと恥ずかしいでしょうけど見て頂くまで我慢なさってください」
 代わりに濡らしたタオルを持って、アヤの顔を優しく拭く。まるで小さい子のようだと笑ったアヤは、リネットは妹みたいなのに、まるでお姉さんみたいと微笑む。
「アヤ様には、どなたかごきょうだいは……いらっしゃるのですか?」
「きょうだいはいません。一人っ子なんです。だから、お姉さんとかお兄さんがいるのは羨ましいなって思っていました」
 妹とかでもいいのですけど、と言うアヤに、リネットは――王宮の中でぽつんとしているアヤを想像する。
「大丈夫です。レスター様と結婚すれば、イネスさんがお兄さんになりますよ?」
 冗談めかしてリネットは言うのだが、アヤも小さく笑って『それは楽しそう』と同意した。
「――じゃあ、レスター様もそろそろ来る頃でしょうから、準備しましょうか」
 にっこり微笑んでアヤの手を取ると、入口の扉を開けたリネット。そこには既に身だしなみを整えたレスターも居て、おはようございますとアヤへ挨拶をする。
「おはようございます。昨日は床で眠らせてしまったみたいで、本当にごめんなさい……」
 ぺこりと軽く頭を下げたアヤに、レスターは『謝ることなどありません』と優しい声音で語りかけた。
 それに眼を丸くしたのはリネットで、レスターにもそんな優しい声が出せるんだな、これは恋の力様々だなと……またニヤけそうになるのを堪えている。
 それに、優しいのはレスターの声だけではない。表情もどこかイキイキしているばかりか、
 彼は愛おしそうに、それでいて熱っぽくアヤを見つめたままだ。
 アヤの包帯を取った時のレスターの反応を観察したくて、今すぐにでも実行してしまいたい――と考えるリネット、無言の間はそんな事を考えていたので、レスターとアヤが何を話していたのかすら記憶にない。
「じゃあ、リネット。お医者様のところに行きましょう」
「……えっ!?  あ、はい!  行きましょう……」
 この数秒の間で、おろおろと挙動不審なメイドを見つめる騎士の目は、
 既に熱を帯びたそれではなくなっていた。
 この子はまた何か考えていたな、という疑惑の色に満ちていたのだった……。

BACK    NEXT

拍手ボタン