異世界の姫君:最終話

「……アヤ。この一週間、いろいろあったな。慣れないことも多く、辛かったと思う。
 こうして……束の間の安息が訪れた今は、多少なりとも気持ちも楽になったのか?」
 離宮へ続く通路に差し掛かると、レスターは静かにそう告げた。
 その言葉に、アヤも様々な出来事を思い出し……ゆっくりと頷く。
 急に姫になってしまい、レスターが護衛につき、襲撃にあったりもしたが……本当に、たくさんのことがあった。
「今は……そうですね。戦争の犠牲になった方も、失くしたものが多くあるのはわかっています。
 それを思うと、私は結局何もして差し上げられなかった。
 もっと広い範囲で早く予知を行うことが出来れば、とか……もっと頭が良かったらとか、他の方法もあったのにって色々考えちゃいます。
 それなのに、レスター様が助かって良かったと喜んでいる自分もいて……
 嬉しい、けれど……嬉しいなんて、今は不謹慎ですから……大きな声では言えないです」
「……そうだな」
 レスターも沈痛な面持ちで湧き上がる噴水を見つめる。
 確かに、命があることはありがたいのだが――城と兵士の犠牲も多かった。
 それでもやはりレティシスの活躍はことのほか大きく、大きな敵や強力な魔物を優先的に斬り倒してくれていたため、死傷者は通常の戦と比べかなり抑えられているはずだ。
 一人で大丈夫と言っただけのことはある。
 街の方も、ラーズとレティシスが戦いを始めてからアニスが結界を張り直して、民の避難を完了させたアンジェラ達が敵を駆逐したそうだし、城ほどの被害はないそうだ。

 現に城のあちらこちらでは、外壁の修理や室内の清掃といった作業が続いており、
 修復にも数年単位だろうとルエリアが予想し、執務室が大破したので玉座で見積り書を睨みながら、
 経費の捻出をどうするか財務と宰相を交え話し合わねばならぬと険しい顔をしていた。

「……こんな時期だが、わたしはアヤにきちんと伝えたいことがある。どうか……耳を傾けてほしい」
「はい……」
 急に真面目な顔になったレスターは、アヤをじっと見つめる。
 その表情で一体何を言われるのか、という期待や不安が入り交じって、アヤの心をそわそわさせた。

「わたしは……アヤに出会わなければ、こんなに人を愛しいと思うことはなかったと思う。
 それだけじゃない。アヤがわたしに与えてくれたものは、あまりにも大きい……。
 中でも、いろいろな感情を呼び起こしてくれた。様々な形で『嬉しい』ことや『悲しい』事があると理解させてもらえた。
 ありがとう……」
「そんな……私のほうこそ、レスター様にはたくさん励ましていただいたり、支えていただいたりしました。
 もちろん、ルエリア様やヒューバート様も言わずもがな、ですけど……お三方には感謝してもしきれないほどです……」
 恐縮するアヤの肩に手を置き、レスターはそっと……いや、かなり慎重に周りを伺ってから、アヤを抱きしめた。
 ふわりと鼻に届く香水の香りと、かすかなアヤの匂い。
 抱きしめる手に力を込め、その温もりと心に沸く愛しさを噛み締めるレスター。
「……アヤ……アヤ・ヒュムカ=ティレシアス。わたしの誰よりも愛しく、大切な人。
 例え陛下に反対されても、もうあなたを離したくはない。わたしはあなたを……生涯愛し続けましょう。
 そしてもうひとつ、夢を見させてはいただけないでしょうか」
 耳朶に響くレスターの声は、アヤの心をときめかせるのに十二分な効果を持っているのだが、アヤは気になった事がある。

(『アヤ・ヒュムカ=ティレシアス』って、何なのでしょうか……って、今聞いたら絶対ダメですよね……)
 聞き覚えのない名前で呼ばれているのだが、いったいいつ付けられたのか。
 そもそも、ヒュムカって誰でどこから付けられたのか。
 それも尋ねたかったのだが、今レスターが醸し出す一世一代の真剣な告白……的な空気をぶち壊してまで尋ねることでもないし、
 レスターの腕から離れるのは少々惜しいので、アヤは己の疑問は後日ルエリアにぶつけてみることにして……
 レスターの言葉を促すように、彼をじっと見上げた。

「もうすぐアヤは、陛下の妹君になられてしまう。つまり、リスピアの第二王女ということ。
 わたしは周知の通り魔族との混血であるし、身分も高くない。
 ……ただでさえ手の届かないところに居たというのに、ますますもって……気軽に話すことも抱き寄せることも出来なくなってしまう。
 だが……。アヤ、必ずわたしは陛下に婚姻の許可をいただくつもりだ。
 それがいつまでかかってしまうかもわからない。もしかすると……永遠に戴くことが出来ない可能性もないわけではない。だけれど――」
 その続きを言ってしまうか、まだレスターは悩んでいたようだった。
 1、2度アヤを見つめて切り出そうとして止めるを繰り返し、3度目で――覚悟を決めたらしい。

「――わたしの妻となってくれる気持ちはあるか?
 わたしは、アヤと結婚したい。いや、アヤでなければ、結婚しなくていい。
 騎士は申し出の時、様々な式典と同じように正装をしていく義務があるのだが、
 いつか必ず、正装でアヤの事を迎えに行く。だから……少し待ってもらっていいだろうか」
 アヤははっとしたようにレスターを見上げ、彼もじっと見つめる。
 じわじわとレスターが婚約を申し出ているという実感が湧いたのだろう。
 眼は徐々にうるうると涙をたたえ、溢れてしまった涙を拭いながら、何度も頷いた。
「はい……!  私でいいなら……私もレスター様のお嫁さんになりたいです。
 ちゃんと信じて待っていますから。どうしても誰かと結婚しなくちゃいけなくなったら、逃げてきますから……!」
「大丈夫だ、ちゃんと掠いに行く。例えヒューバート様が阻止するために立ちふさがったとしても、負けはしない」
 力強く頷いて、レスターはアヤの涙を拭うと……どちらともなく唇を寄せ、優しく口付けをした。

「アヤ、邪魔するぞ」
 それから数時間後。ルエリアは、水の離宮にレスターを伴って姿を見せた。
 突然の訪問に、相変わらずマルーを剥いているばかりのイネスは驚きすぎて指を浅く切ってしまったし、掃除をしていたリネットはもう少しでバケツの水をひっくり返すところだった。
 アヤはといえば『集中』するための訓練中だったのと、ルエリアの事は見慣れていることもあり……振り返るとその場にしずしずと跪くだけで終わった。
「ルエリア様……お忙しい中、訪れていただき光栄です……あの、いかがされたのですか?」
「おまえの事を調べに来たのだよ」
 ルエリアは事も無げに言ったが、なんだかレスターの様子が変である。頬を赤らめ、アヤを見ようともしない。
「調べに……?」
「貴族の一人が言っていただろう。ティレシア王家の印がどうだとか」
「ああ……」
 そしてルエリアは、自分とレスターが調べた結果を教えると言って終わらせたのだったか。
 しかし、アヤの身体にはそんなアザなどない事くらい、アヤ自身がよく知っているし……
 リネットだって、アヤの裸を見ているのだから知っているはずだ。
 ルエリアは恐縮しているリネットを呼ぶと、ひそひそと何かを呟く。
「……は、はい……他言いたしませんっ」
 聞いてしまっていいのかしらというような思いはあったようだが、ふとレスターと目が合うと、リネットは堪えきれず口元を抑えているので……またニヤニヤ笑っているのだと察したレスターは、恥ずかしさのあまり視線を逸らした。
「アヤ、ちょっと寝室に来い。レスターもだ」
「はいっ……あ、今開けます」
 アヤはすたすたと扉を開けてルエリアを先に入れると続いて中へ入ったようだが、あの様子では本当に気づいていないのだろう。
 レスターは良心が痛むのか、困り切った顔で戸口に立つとルエリアに意見するため口を開く。
「…………陛下……せめて夜に」
「やかましい。さっきも駄目だといっただろう」
「では2人だけの時――」
「何度も言わせるな」
「人払いを……」
「ならぬ。ええい、煩い男だな。それほど嫌なら、他の者に変わってもらうぞ!」
「それはいけません!」
「つべこべ言わずに来い!  女を待たせるな!」
 ぴしゃり、ばっさりといった感じで全て斬り捨てられたレスターは、覚悟を決めねばならぬようだった。
 がくりと肩を下ろし、売られていく仔牛のような悲壮感を漂わせて最後に室内へ入っていった。

 しばらくするとルエリアだけが部屋から出てきて、リネットに茶を所望する。
「あと、一時間くらい経った頃に扉の前に湿したタオルを置いてやってくれ」
「承知しましたっ!」
 リネットは非常に張り切っている。
 事情が飲み込めないイネスだけが一人、訝しげにどこか口元が緩んでいる二人の様子を眺めていた。
「……姫……取り調べ、ですか?」
「似たようなものだ」
 レスターの様子は変だったから、余計気になるのだろう。
 事実を知ればリネットと同じくニヤニヤするかもしれないのだが。
「陛下は、その……中に入らないのですか?」
「余は構わぬ。レスターが困るだろうからな」
 はぁ、と、まだ察しがつかないイネスは気の抜けるような返答をし、自分の指先に細く切った包帯を巻いて固定した。

 それからだいたい一時間後。
 そっと戸口からレスターが顔だけを覘かせたので、リネットは意気揚揚とタオルを渡してやる。
「レスター」
「――はいっ!」
 すぐに引っ込もうとしたレスターを、ルエリアが呼んだ。
 レスターも反射的に返事をし、ルエリアの表情を伺う。
「随分じっくり調べていたな。どうだ、あったのか?」
 女王は、かなり意地悪くレスターに尋ねた。なぜなら、彼女も一応アヤの身体は見ていたのだ。
 レスターはかなり言いづらそうにしていたが、もう一度『あったのか』と聞かれては命令に逆らえず、言いたくありませんオーラを醸し出しながらも答える。
「……ありませんでした」
「ほう。それで」
「…………仰る通りに、左胸の下に、赤い印を」
「よろしい。定期的に『確認』しておけよ」
 くすりと笑われたレスターは、恥ずかしさを堪えるような顔をしたまま戸口に引っ込む。
 ようやく事態が飲み込めたらしいイネスは、きゃーいやだー、陛下ったらーと言って、リネットと一緒になってニヤニヤしていた。
「……といいますかね、陛下。いいんですか?  姫様は妹様になるんでしょう。
 うちの子にそんな……大丈夫なんですか?」
「心配いらぬ。それに、レスターとアヤにはいい加減交際の許可も与えてやらねばならぬし……
 毎日くれくれと煩いのだよ、あの男は。
 それに、レスターは真面目だからな。10年後、20年後と今後のリスピアを支えてもらうためにも、
 おまえたちのように異種族の混血で肩身の狭い思いをする者たちが――こんな生き方もできるのだと、希望を見いだせる地位まで上がってもらわねば困るのだ」
 血塗れで路上に転がされている子供など、もう見たくはないからな――と呟くルエリアだったが、ふっと笑った。
「しかし……余からアヤを差し出させたぶん、あやつにはしっかりきっちり働いてもらう。
 まったく、アヤに惚れなければ余が可愛がってやったというのに……」
「えっ、それ、どっちのことですか……」
 うちの子ですか、それとも姫のほうですか--と若干青ざめて聞いてくるイネスに、ルエリアは当然アヤの方だといった。

「…………」
 いけない妄想がイネスの頭をよぎったようだ。ああ、となんだか幸せそうな吐息を漏らして机に突っ伏した。
「勝手な妄想を抱くとは変態め……まぁいい、余は戻らねば。左胸に印があると確認した書状を出さねばならん」
 出すのが遅いと怪しまれるからな、と言いながら紅茶を飲み干し、立ち上がると
『レスターが戻ってきたら、今日は休めと言っておいてくれ。ああ、アヤにも夜の面会は不要だとも伝えろ』と申し付け、白いドレスを翻してスタスタと出ていった。

「……いやはやなんとも……レスター、恥ずかしくて出てこないんじゃないの、あいつ」
「うぅん……でも、お湯の準備はしてありますから……出てきてくれないと、冷めちゃいます」
 剥き終えたマルーをひょいと手に取って、リネットは早速この場から逃げ出すことを考えたようだ。
「これ、ヒューバート様に持っていきますね。イネスさんはお二人に伝えるお仕事をお任せしました。執事さんだし!」
「ちょっ……!  リネットさん、それズルじゃない?  俺だってこの後、二人に会うの気まずくて嫌だよ!」
 イネスのいうことは共感せざるを得ないのだが、リネットは聞かなかったふりをして逃げるようにその場を後にしてしまう。

「あーもー、どうすればいいわけ~……お兄ちゃん恥ずかしいよー……」
 掃除はリネットが綺麗に行ってしまったし、イネスもとりあえずやることがない。――というか早く逃げたい。
 そして、思いついたのは……ベタな手法で『書き置き』だった。
『レスターへ  今日は休んでいいそうです。姫にも今日の面会は不要だと伝えてください。お風呂湧いてるから使ってね』
 という、オカンの手紙のような文面を机に置き、立ち去ろうとしたが……
 また戻ると、一文を書き足して脱兎のごとく走り去っていった。

 こそっとレスターが再び戸口から顔を出したのが20分後。
 危険察知まで使い、まるで野生動物のように周囲の様子を注意深く伺い……。
 誰も居ないのだと分かるとそっと居間に入ってきた。
 誰かがいても仕方がないのだが、やはり居ないほうが気持ち的にはありがたかったのだ。
(後でまたあれこれ言われるのだろうか……)
 だが、後悔するようなことは何一つない。
 そう自分に言い聞かせつつ机の上に書き置きがあるのを発見したレスターは、それを手に取って内容に目を通す。
(……あいつ……)
 最後の一文を見て――アヤに見せようとしたのだが、
 確か文字は読めないと言っていたのを思い出し、丁度部屋から出てきたアヤを手招きする。
「イネスが、書き置きをしていった。今日は二人ともゆっくり休んでいいと、陛下が仰って下さったようだ」
「それは……ありがたいです……」
 まだレスターのことをまっすぐ見るのは恥ずかしいのか、
 アヤはレスターの胸辺りに視線を合わせるだけにして、ぎこちない相槌をする。
 それを意識しないようにしながら、まだ続きがあるんだとアヤに言って、それを読みあげた。

「『先は長そうだけど、2人一緒になれる日が一日でも早く訪れるよう応援してるよ』……と記されている。
 変なところばかり鋭くて困るな……」
 その書き置きに、アヤとレスターは顔を見合わせて表情を綻ばせた。
「そうなるようにお互い、頑張りましょうね」
「ああ……必ず、幸せにする」
 そうして、頼もしいことを言ったレスターは、アヤの頬に手を置き『愛している』と微笑んで、誓いの言葉を囁くと唇にキスをした。
 その言葉は、アヤにしか聞き取れぬ程度だったので――なんと言ったかは、二人以外知らない。
 -fin-

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