9.リスピア城へ!

 ルエリア女王の誕生祭は終わったはずだというのに、リスピアには依然として人の出入りが多かった。
 大通りは昨日と同じように賑わっており、右にも左にも人の流れは絶えそうにないと思われるほどだ。
 リネットたちが英雄亭を去ってからフリッツが包みの中から商品を発見し、返却しようと追いかけるまで、3分程度しか経っていないと思うのだが……それでも、この人通りでは見失ってしまうのも無理はない、とまで思わされる。
 眼前で慌ただしく行き交う人の群を見つめ、もう探し出すのは困難だと諦めたフリッツ。
 もしも彼女たちを運良く見つけだすことができたとしても、この流れでは追いつく事すら厳しいだろう。
 だが、この小瓶いっぱいに入っている胡椒。昨日の礼としては過剰すぎて釣り合うはずもない。
 それに、これが対等だと彼女たちが思っていても、フリッツには所持し続けることも、使う気にもなれなかった。

「どうしたものか……」
 フリッツは弱りきった顔で額に手をやり、先ほど思い至った案――リネット達の知り合いであると思われるレスターを頼る、という方向へと切り替えることにした。
 確か、彼はリスピア王国の騎士だと言っていたはずだ。
――城に行けば、会えるかもしれない。
 フリッツは淡い期待を抱き、リスピア城へと向かっていった。

 リスピア城は、とても強固かつ美しい城であるとヴァッサーベルンにいた頃聞いたことがある。
 だが、フリッツがここで目にしているのは――砕かれた城壁や焼け焦げた石。場所によっては、厚い壁が破壊され内装が剥き出しになっている部屋もある。
 想像とあまりにもかけ離れた現実の姿に、フリッツもいささか落胆の色を隠せなかったが、丸イモを買ったときに店主が改修工事をしていると言っていたのを思い出した。
 このような有様となった原因は、アルガレスとの交戦によるものだとフリッツも聞き及んでいたが、戦争自体は一日もかからずに終わったらしい。
 戦争の理由が一体何であったのか。市井には様々な憶測が飛び交っているようだが、その中で何が本当で何が嘘なのかなど、来たばかりのフリッツには分からない。
 ただ、事実として両国の長が剣を交え、傷つけあうという争いが行われたのだから、期間が長かろうが短かろうが、それは【戦争】である。
 両国の関係は悪化の一途をたどっており、また戦争になるのだろうか、とぼんやり考えたその時だった。

「おい、お前。リスピア城に何の用だ」
 城門近くまで来て何も言わず、城をじっと眺めている男を不審がった門番の一人がぞんざいな口調で話しかけてきた。
「あ……あの、リスピアの騎士に、レスター様と仰る方がいると思うのですが……」
「レスター様?  一体何の用なんだァ?」
 知っているのか知らないのか、門番はフリッツを訝しげにじろじろと無遠慮に眺める。
 フリッツの格好は、どこをどう見ても修道士でも貴族にも金持ちにも見えない。そんな男が騎士に面会を求めているのである。
「お願いします。ほんの少しのお時間でも構いませんので……」
「レスター様はお忙しい身だ。それに、お前……騎士様に面会の約束でもしているのか?」
「いえ、先日助けていただいたお礼と、少々ご相談がありまして……」
 目通りを願うフリッツ。この門番に全てを伝える気にはならなかったため内容を伏せ、相談があると伝えたのだが、門番は取り合ってくれるような素振りはない。
「何度も言わせるな。面会の約束も無いようなうさんくさい奴に、騎士様が貴重な時間を割くわけがないだろう!」
 帰れ、と怒鳴られながらも、そこを何とかとフリッツも食い下がる。
「お願いします、せめて5分だけでも良いので……!」
「いい加減にしろ!  不審者として投獄するぞ!」
 苛立たしげな顔で門番が警笛を取り出したため、これ以上は粘ろうが何を話そうとも無駄であると悟ったフリッツ。
 頭を下げて、すごすごと今来た道を戻って行った。

(困った……)
 小川に架かった橋の上で、途方に暮れたまま川の流れを眺めるフリッツ。
 融通の利かない門番を恨めしくも思ったが、彼は職務を忠実にこなしているのだろう。どこの馬の骨とも分からぬものを、簡単に通すわけもない。
 今日は渡せなかったとして明日にまた行ってみればどうだろうとも考えた。
 だが、時が経てば経つほど返しづらくなっていくし、悪い事をしたわけではないけれど、胡椒の件は他に知られたくはない。
 何より、エルナやマリーに『絡まれている女性を助けたら胡椒などを御礼にもらった』と言って、素直に信じるだろうか。
 そんなお伽話のようなことがあるはずはない、と尚更疑惑の眼差しを向けられるだけだろう。
 そっとフリッツはポケットの中に手を突っ込み、小瓶の感触を確かめる。
 指先にコツと当たる堅い感覚。薄いガラス瓶越しに、胡椒の粒が転がる振動まで伝わるような気さえした。
 この薄いガラス瓶でさえ、高級なものではないかと思われる。
 そうするとますます、返さなくてはならないだろうという想いが強くなってきた。
「うーん……」
 再びフリッツは唸り、他に方法がないかと考えた。
 どうにか、リネットかレスターに出会える伝手を持っている人物はいないだろうか。
 門番に掛け合うわけもいくまい。今度こそ牢獄に叩き込まれてしまう。
 牢獄に叩き込まれる前に胡椒の事が知れたら、今度はそれをどこで手に入れたか、などという面倒くさい問題を呼び込むだろう。要らぬ濡れ衣を着せられるような行為は慎みたい。
 そういった考えから導き出したのは――……
「いるわけないな……」

 頼りべきものがもうない。手づまりである。
 大きくため息をつき、がくりと肩を落としたフリッツ。

 だが、この国の女神か、幸運の女神なのか……定かではないが、神はフリッツを見捨ててはいなかったようだ。
「何かお困りのようですね」

 後方から、女性の声で返事があった。

 驚き半分、期待半分――この期待はアリスかリネットかもしれないと思ったからだが――で振り返れば、まず目についたのは、側面に白い羽飾りのあしらわれている兜だった。
 続いて、アリスのような飴色の髪。だが、目の前の彼女の髪はアリスよりも少し短い。
 足や腕を完全に覆わない露出の高い服装の上に革鎧を着こんでおり、帯剣している事から察するに冒険者かと思われる。

――いや、そうではなかった。

 風と大地を意味する装飾、鷹と獅子。中央に百合の花を持つ女神エリスの描かれた紋章……。
 女性の外套には、レスターが着けていたものと同じ紋章がある……!!

「あの、つかぬ事を伺いますが……あなたもリスピアの騎士様でしょうか」
「ええ、そうだけど……あたしはリスピア王国聖騎士、アンジェラ・ブルジェ。とはいえ、聖騎士アンジェラよりは魔法剣士アンジェ、のほうが聞き覚えが……なさそうね」
 アンジェラと名乗る女性はフリッツの反応を見て苦笑したが、フリッツが『お願いがございます』と真面目な顔で訴えてくるので、気を引き締める。
「どうしても急なお話がありまして、レスター様にお取次ぎをお願いしたいのです」
「レスター……って、レスター・ルガーテ?  あの赤い眼の?」
 アンジェラはレスターの名前も外見も知っているようだ。少々驚いたような声を発し、フリッツの頷きに小さくおかしいと呟いた。
「……レスターは確かにリスピアの騎士だけど、最近は城下町に行っていないはずよ。どこで知り合ったの?」
「いえ、昨日確かにお会い致しました。諍いに巻き込まれたわたしを助け、家まで送ってくださいましたよ」
 恐らくこのがっちりとした外見のフリッツと肩を並べて歩くレスターを想像したのだろう。『あの人、男の人にも女の人を扱うようなことをするのね』という感想を漏らし、アンジェラは小さく笑った。
「話は出来ると思うけど、レスターは……ちょっと特殊な任務に就いているから、長い時間は取れないと思うわ」
「本当ですか!?  ああ、良かった……、お時間は5分もあれば大丈夫です。昨日の御礼のほかに、少々お願いをしたいだけなので」
 アンジェラはもう一度フリッツをまじまじと観察するように注視し、本当に会わせて良いのか思案しているようだ。
 その雰囲気を感じ取ったフリッツも、祈るような気持ちでアンジェラの判断を待っている。

「――いいわ、ついてきて。でも、逃げたり暴れたら覚悟して頂戴ね」
「勿論、誓ってそんな事は致しません」
 聖騎士の実力がはたしてどのようなものか分からなくとも、彼らを前に逆らってどうなるのかくらいは容易に想像がついている。
 アンジェラから見たフリッツも無謀な事を考えるはずもなく、レスターと会えることを喜んでいるようだった。
 フリッツを案内しながらも迷うことなくスタスタ小道を進んでいくアンジェラ。歩くたびに彼女の兜についた羽飾りがフワフワと軽やかに揺れる。
 この辺に住んでいる住民らしき者や露店の商人たちは、アンジェラを見て軽く頭を下げたり声をかけてくる。
 アンジェラはそれらに軽く応じながら、時折フリッツがついてきているか確認のため振り返る。
「人望があるんですね」
 フリッツが今までのやり取りの中からそう声を掛ければ、アンジェラはどうかしらね、と気の無い返事をよこす。
「確かに見回りも守備も行っているけど、憲兵みたいなものとしか思われていないんじゃない?」
 普段、騎士と接する機会もそうそうないだろう。ヴァッサーベルンには騎士などいなかったので、自分にとっては新鮮だと正直な感想をアンジェラへ告げた。
「そうなの?  他国の事はよく知らないけど、ヴァッサーベルンは綺麗な所だと聞いたことがあるわ」
 表情の大半は兜で隠れているが、唯一見える桜色の唇が綺麗な弧を描いており、アンジェラは笑みを向けてくれている、らしい。
 フリッツもつられて笑みを零す。遠く離れた他国で自分の故郷に関する良い評判を聞くことが、とても誇らしく喜ばしいと感じ、感謝の気持ちを持って微笑んだのだ。

 話しているうちに、アンジェラとフリッツの2人はリスピア城正門へとやってくる。
 また追い返されないかとフリッツは先ほどのやり取りを覚えて身構えたが、アンジェラがそこで待つようにフリッツへ伝え、先ほど応対した門番へと歩み寄っていく。
 アンジェラは二言、三言と門番と会話を交わし、門番はその度にフリッツを睨むように見つめてくる。
 できるだけ視線を合わせないようにしながらやり取りを見守っていると、門番が左手を胸にのせ、アンジェラは頷きを返した後で戻ってくる。
「お待たせ。時間が勿体ないわ。行きましょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
 深々と頭を下げたフリッツ。アンジェラはそんな彼を伴って、リスピア城へと歩を進めていった。
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