52.孤独の刃

 僕はヴィルフリートに引きずられながら、共用スペースである居間へとやってきた。
 僕らの後ろを、無表情のクライヴさんと難しい顔をしたルカさんがついてくる。
 先ほど拾い上げた時の雫は僕の手に納められたままで、誰一人それには手を触れようとしない。
 ヴィルフリートは僕をソファへ突き飛ばすようにして座らせ、自分は魔法で椅子を出すと僕の正面に腰掛ける。
 ヴィルフリートの後方、一人掛けの椅子にルカさんがちょこんと座り、クライヴさんは壁に背を預けるようにして僕らの様子を眺めている。

 誰よりも早く口を開いたのはルカさんだった。
「――あの、さ……話がいまいちよく分かんないんだけど、ルシさんが何か悩んでるのと、ヴィルフリートの言う……時のナントカ? って、関係あるの?」
 僕とヴィルフリートのどちらに話しかけたのかは定かでない。
 ルカさんはいつも通りの、己の無知を恥じている申し訳なさそうな様子ではあったが、僕とヴィルフリート、どちらかが時の雫の詳細を話してくれるのではないか、という期待をしているようだ。
 だが、ヴィルフリートは『どうだかなぁ』と、素知らぬふりをし、僕へと紅い目を向ける。
「俺もそれは聞きたい。なぁルシエル? ここまで来たら、隠したって無駄だぜ」
 そう言いながら僕を見るヴィルフリートの表情には、敵意に近い感情が表れている。
 そんな視線を向けられるのは仕方がないことだと、僕自身も思う。
 僕はすっかり彼の信頼感を、失ってしまったようだ。
「隠すつもりはありませんが……どう話せばいいか」
 どこから話すべきなのか。迷っていると、ヴィルフリートが『ここ数日のことでいい』と面倒くさそうに告げたので、僕はひとつ頷くと、なるべくルカさんに理解しやすいように話をはじめる。

 まずは僕の天使としての力が、弱まっていること。
 その力が低下してきているという事は、僕が持っている浄化能力、破邪の力、治癒力がやがて効かなくなること。 現時点でも、ルカさんの擦過傷程度でさえ力を強めに送り込まなければ癒せなかったこと。
 そして――【父】が、僕に天界への帰還をお赦しになったため、僕の兄弟に近い存在のものが使いとしてやってきていたこと。
 その経緯で、ルカさんが元の世界に帰ることができるなら、自分も天界へ戻ってもいい、という条件を出したこと……そして、どう足掻いてもあと3日経てば僕は帰還させられる事なども説明した。

 いつもなら話の合間でも質問していたというのに、ルカさんは何も言わずに聞いていた。
「――以上が【時の雫】を得るに至った経緯です」
 僕の説明が終了すると、ルカさんは目を閉じて、情報を自分の中で整理しているようだ。
「……つまり、過ぎ去った時間を戻せるアイテム、ってことなんだよね?」
「そうです」
 僕が首肯すると、ルカさんはまた悩むような様子を見せた。
「……ルシエル、時間を戻せるというのはいつまで巻き戻るのか分からないのだろう? 次元を越えて巻き戻せるのか?」
 僕にそう問いかけてきたのはクライヴさんだった。
「僕も使ったことはありませんが……使った本人に関わりのある範囲で変わるのです」
 だから、ルカさんが次元を越えてきた存在でも、もしかするとここにくる前に戻せるのかもしれない。
「……でも、私はまたニーナに騙されてここに来て、同じ事を繰り返すかもしれないよね?」
 ルカさんの記憶はないわけだから、ニーナさんとまた同じやりとりを起こす事はあるかもしれない。
 そうですねと僕は頷いて、自分の場合を例に出す。
「ルカさんはそうなってしまうかもしれない。でも、僕が【時の雫】を使ったなら、記憶を一部持ったまま時間を巻き戻せます。魔界に落ちる原因に出会っても、同じ未来にならない可能性が高くなります」
 え、とルカさんは不満そうな声を上げた。
「それって――」
 結局私の未来は変わらないよ、と言ったルカさん。
「いいじゃねぇか。俺と2人っきりで仲良くやろうぜ」
 邪魔なモンも居なくなって、清々すると言い放つヴィルフリート。
「やだよ、襲われるの。それに、クライヴさん――」
 ルカさんは辛そうな顔でクライヴさんの顔を見つめた。
 クライヴさんは怪訝そうな顔をしつつ、首のチョーカーを人差し指に引っかけた。
「……そう、だな。こうなっていたと仮定しても、クドラクを倒すこと、あるいは倒したところで生きていたかは分からないな」
 ルシエルのお陰でもある、とこの間の事件を思い浮かべながら話しているであろうクライヴさん。
 2人の事を見ていると、僕はとても悪いことをしているような気分になり、気が重くなる。
「しかしルシエル。接触を図ってきた天使は、本当にルシエルの知っている天使だったのか?」
 わたしはそれがどうも引っかかると言ったクライヴさん。しかし、僕にラムリエルの事など、何一つ疑うところはなかった。
「……あの気配はラムリエルのものです」
 間違いないですと言ったのだが、クライヴさんは『そこだ』と指摘する。
「姿を確認したわけではないのに、断定できるのはなぜだ? 精神会話は、悪魔と天使でも出来る。わたしが聞いているのは、接触を図ったのは【本当に天使だったか】というところだ」
 その点を突きつけられ、僕は一瞬言葉に詰まった。
「……それは……いえ、言いたいことは分かります。魔界へやってくるなんて、天使にとっては非常に過酷なのですから」
 僕も瘴気の強さに耐えきれず、ルカさんたちに出会わなければ瘴気に蝕まれ、死亡していたことだろう。
「ええとさ、ルシさんとそのー……ラムちゃん? って、どっちが強いの?」
「彼はラムちゃんではなく、ラムリエルといいます。強さですか……生まれたての頃は同じくらいかと。
セラフだった当時であれば、僕のほうが能力は強かったと思います」
 僕らは初期に生まれたものだから、能力も恐らく一般的な天使よりは高い。
 でも、あとは役割や役職、自身の努力や覚醒によって変わってくる。
 稀に【父】が能力を与えてくれることもある。
「……ってルシさんは言ってるけど、ヴィルフリートとクライヴさんはどう思う?」
 僕の意見だけでは参考にならないのだろうか。他2人の従者の意見を伺うルカさん。
「そうだな……ラムリエルだっけ? あの感じじゃ、まだ本気じゃねぇな。恐らくルシエルよりやや下くらいだと思うぜ」
 ヴィルフリートの言葉に、そうだなと同意するクライヴさん。
「そっか。みんなが言うなら、ルシさんとラムちゃんは大体同じ位って考えておけば良さそうだね」
 先ほど僕が言った見解も訂正も、ルカさんはあまり覚えていない気がする。いや、覚える気がなかったのかもしれない……。
 ルカさんの記憶力が悪いという問題ではなく、やる気の問題であると信じたいけれど、言ったばかりのことを覚えていただけないというのも寂しい。

 僕のそんな些細な感傷など当然知るはずもないルカさんは、にこにこと朗らかな笑顔を僕に向ける。
「――で。ルシさん。あんた、私に相談もなく勝手に天界帰るって約束しちゃったわけ? なんで一言もなしに、そんなことすんの?」
 しかも、私を勝手に帰すって言ったんだよね、と……言っている間に怒りが沸いてきてしまったようだ。
 ホントのトコはなんなの、とルカさんの語気がだんだん強くなっていく。
「言わないと、ご飯抜きだよ」
 ソレ全然罰にならねぇぞ、と言っているヴィルフリートを黙れと言わんばかりにキッと睨んだルカさん。
 僕も食事抜きが嫌なわけではないけれど、何をしようとあと3日程度しかここにいられないわけだから、正直に話すことにした。
「……僕はこのまま、力を失っていく一方です。そうすると、何も出来なくなります。だから……」
 だから、側にいられなくなる。
 その一言を口にしてしまったら、今すぐにそうなってしまいそうで、僕はそれ以上言うことが出来なかった。
「……ルシさんは、私を大事に思っているの?」
 不安そうな声でルカさんは、僕にそう訊いてくる。
「勿論、大切に思っています」
 嘘偽りのない気持ちを口に出すと、ルカさんは少しだけ安堵したような表情を浮かべた。
「私のことを考えてくれた結果、そうしたの?」
「……はい。天使の力が無くなれば、ルカさんの傷は癒せなくなる。そうしたら、僕はあなたを守れなくなってしまいます」
 ルカさんはそうなのかな、と悲しそうな顔をした。

「じゃあ、私のこととか抜きにしてさ、ルシさんは……自分の意思で帰りたい?」
「え……」
「私のことを考えて、天使の条件を呑んだんでしょ? だったらソレを抜きにして、ルシさん自身はどういう心境なの?」

 僕のこと。
 僕自身、天に戻りたいのか?
 天へ戻ることに対する期待や高揚、そして帰還した後の暮らし。
 好きな歌を天に響かせ、命令があれば僕も下界に降りて悪魔や人間を断罪する。
 それは――……昔通りの日々になるのだろう。
「……帰るのは……嫌じゃないですよ」
 もう戻るところは、そこしかないのだから。

「……嘘つき」
 ルカさんは、僕を非難するような眼差しを向けた。
 その目に射竦められた僕は、雷に全身を打たれたかのような衝撃を受ける。

「そんな、嘘なんて……! 僕はルカさんが、本当は家族の元に帰りたいのだと知って――」
 言い終わらないうちに、ルカさんは席を立って、何かを察して止めようとしたヴィルフリートを両手で思い切り突き飛ばすと、座ったままの僕を見下ろす。
「あんたね……いつまでもふざけてんじゃ、ないわよ……!」
 言うなり僕の胸ぐらを掴んで、引っ張り立たすようにして自分へと寄せると、ルカさんは怒りに声を震わせた。
「いい加減にして! 私が本当はどう思ってるかなんて知らないくせに、勝手な判断でそんなクサレアイテムを貰う口実にしないでよ!」
 天の秘宝が【腐れアイテム】と呼ばれたことよりも、ルカさんが僕に詰め寄って激怒しているという方が、僕に戸惑いを与えた。
「なぜ怒るのですか。あなたは実際――」
「――本当は私だって、あの日初めて出会ったヴィルフリートに犯されてるときからこれは全部嘘だって、目を開けたら家のベッドで寝てて。全部夢なんだ、そうに違いないって逃避してた事もあったよ! でも、嘘なんかじゃなかった!」
 今まで本気で『死にたいと思った事なんかなかった』と言った時、ソファに沈んだままヴィルフリートは僅かに目を伏せた。
「二度と家族と一緒にいられないけど、私にはみんながいるから頑張ろうって……思ってたのに!」
 僕の服を掴んでいるルカさんの手は怒りと悲しみに、わなわなと震えていた。
 悔しいのかもしれない。ルカさんが怒ることはよくあったけれど、こんな風に自分や人を傷つけるような言い方はしたりしなかった。
 そんな事を考えながらその細い指を見ていると……ぽつりと彼女の手の甲に、雫が落ちた。

「……それなのに今更『帰れますよ、ルカさんが望んだことだよ、僕も帰るために願いを叶えますね』って言われて、両手を振りながら笑顔で帰るとでも思ってんの?! 何様のつもりよ……!」

 ルカさんはぼろぼろと大粒の涙を流して、僕を睨んでいた。
「あ……」
 その顔を見るのは苦しくて、僕は罪悪感に押しつぶされそうだった。
 ルカさんの為にとした事が、結果的に彼女を苦しませている……!
「……あんたなんか、結局自分は私たちと違う存在だって上から見てるんじゃない!」
「もう泣くな、ルカ……言いたいことは分かるけどな、俺はお前のそんなとこ見たくねぇよ……」
 ヴィルフリートがルカさんの肩を優しく抱き、彼女の手を取って胸に顔を埋めさせた。
 ルカさんは涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔を、ヴィルフリートの胸に押し付けたまま声を上げて泣いてしまっている。
「……クライヴ、ちょっと頼むわ」
 ヴィルフリートはクライヴさんに彼女を休ませてあげるよう告げて、彼も黙って頷くとルカさんの背をさすりながら部屋を出ていった。

 僕とヴィルフリートの2人きりになった居間には、静けさが訪れた。
「……ルカは、本気で怒ってたぜ」
 ヴィルフリートは静かにそう事実を告げると、僕の事など興味が無いといった顔で、どこでも行けよと言い捨てた。
「もう殴るのも飽きた。お前もどうせ殴られたって、心に何も響かないんだろ?」
 3日くらいなら部屋は貸しておいてやるが、あの変な祭壇は壊して出て行けよと言い残し、ヴィルフリートは一瞬にして姿を消した。

「……」
 僕にはもう何も残っていない。愛情も、信頼も何もかもを失ってしまった。
「……僕は、どうするべきだったんでしょうか……」
 僕の声は誰にも届かない。

 傍らに置かれた時の雫がまるで『自分を使え』と囁くように、静かに輝いているだけだった。
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