1.異世界に興味はございませんか?

――私が異世界に旅立ったのは、夏でもないのに急激な暑さが印象的な日のことだった。

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 次の日は学園が休みって事と、調子に乗って遅くまでインターネットをしていたせいで、ベッドに入ったのは朝方。
 ゆっくり寝ていようと思ったのに……最悪の目覚めが待っていた。
 いつもは余裕で寝てられるのに、今日に限って寝苦しさで目が覚めた。

 身体もうっすら寝汗をかいたみたいで、ぺたぺたする。
(この暑さ、なんなの?)

 夏でもないのに日差しは強くて、カーテン越しにも強く照りつけているのが分かる。
 おまけに、というかこれだけ暑いんだから当然っていうか……気温は凄い。
 30度っておかしいでしょ、何よこれ。
 時計を見ればまだ10時で、ちょうどいいっていえばそうなのかもしれないけど、やっぱりまだ眠い。
「……喉乾いたな……」
 フラフラする足取りのまま眼をこすりながら部屋から出て、2階から階段下のリビングを覗いてみたけど……人がいる気配も物音もない。
 親は仕事に行っちゃったみたいだし、朝ごはんの用意……うん。それもないみたい。
「パンとか置いといてくれたらいいのに……」
 どうせ、あんたはいつ起きてくるかわからないでしょー、とかいうだろうけど。
 はいはい、どうせゆっくり昼まで寝てますよ。

 つい愚痴じみた独り言を洩らしつつ階下へ着くと、そのまままっすぐ台所に行って冷蔵庫の扉を開ける。
 中にはアップルジュースが入っていて、それをグラスに注いで一気に飲み干した。あー……おいし……。
 親がいないのはいつもの事だけど、ご飯がないなら買いに行かなくちゃいけない。
 この家にはご飯がないから食べるようなお菓子もケーキもほとんどないのよ。

 冷蔵庫を物色してもお腹を満たしてくれそうなものはなく、次に漁った冷凍庫にはバニラアイスだけ。
…………ま、いいか。食事はお昼になったら考えよう。
 出かけたくなったら、その時に食べればいいし。
 棒アイスを手に取ると、ビニールを取って一口かじる。ほんわりとした甘さと冷たさが気持ちいい。やっぱこれよね。
 また一口、もう一口……とかじって、誰か予定空いてる子いないかな、と考えていたら玄関のチャイムが鳴った。

「はーい?」
 玄関を開けると、にこにこ微笑む若い女性。えーと、お客さん……じゃないな、この感じ。
 十中八九セールスレディ(と思わしき人)が立っていた。
 ピンクのワンピースはかわいいけど、肩くらいまでの長さに切りそろえられた茶色の髪は、ちょっとくしゃくしゃになっていた。
 まあ風とかでこうなるときもあるよね。手ぐしで直してからチャイム押せばいいのに……。ま、どうでもいいか。
「こんにちは~、暑いですね」
「はぁ……」
 話しかけられて気の抜けた返事をしちゃったけど……アイス溶けそうだったし、
 ちゃんとした挨拶よりも先に、指にたれそうだったバニラ味の雫をぺろりと舐めとって、っと。
 私は『宗教とか、興味ないんですみません。親もいないので』って一息で言いきってドアを閉めようとした。

 でも、セールスはこれで引き下がらない。抜群のタイミングで黒いパンプスのつま先をねじ込んで、ドアまでぐっとつかんで止められた。

 鉄壁のディフェンス……!  いや、この場合はオフェンス、なのかな。まぁどっちだっていい。私がドア閉められないのはかわらないし。
「ちょっと……セールスお断りなんで!  ドア閉めます!  ダぁ閉めますっ!」
「このクソ暑い日に歩き回ってんだから、鉄道のアナウンスみたいなドア閉める言い方じゃなくて、わー大変ですねとか言いなさいよねっ!
 だいたいセールスを見たからってなんでもシューキョーとか思わないでよ!  腹立つわぁ!」
 逆切れしながらもセールスレディはぞんざいな口調で、腕に力を込めるとドアの隙間を押し広げて体をねじ込んできた。わああ侵入者だ!
 ドン引きしている私を見ながら、勝ち誇ったような顔で、レディはこう切り出した。

「余計な体力使っちゃった……ねえ、あなた……異世界に興味はありませんか?」

「……は?」
 私の聞き間違いかと思って、もう一度よーく聴いてみる。
「だから、異世界に興味はありませんか?」
「異世界……」
 思わず口に出しちゃったら、レディは嬉しそうに頷いた。
 今までのやり取りはなんだったのかと、忘れてしまいそうになるほどのいい笑顔で。
「お話だけでも、聞いてもらえませんか?  いやもう、喉も乾いたし脚も痛いし」
 ようやく話を聞いてくれる人が見つかって助かったわー、と言いながら、レディは家に上がり込んでいく。
 いや、これだけパワーのある営業だったら、誰かしら契約してくれるんじゃないの?
 当然私はしないけど……ていうか親が居ないからっていい気になって上がり込まないでよ!
「ちょっと……いい加減にしてよ!  警察呼びますよ!」
「少し話したら帰るから~。押し売りじゃないわよ。お金取らないし」
 足を投げ出して勝手にソファへ座ってるし、喉乾いたとうるさいので、ホントは出してやる義理もないけど……。
 めんどくさい人にあたっちゃったな、と思いつつアイスを口に咥えながら、
 さっきのアップルジュースを冷蔵庫から取り出して注いでやった。
 喜んで飲んでくれたけど、もう帰ってくれないかなぁ。メーワクでしょうがないのよね……。
 アップルジュースを飲み干し、ぷはー、とビールを飲んだみたいな息を吐くと、
 もうレディじゃないレディはにっこりと営業スマイルを向ける。もう引っかからないぞ。
「……で。お嬢さんは異世界に興味あるでしょ?」
「しつこいですね……無いです別に。ホントに行けるわけじゃないし」
 ところが、レディは『んふふ』と妙に艶のある笑い方で私を見ている。
 なんだかレディの妖しい魅力に、わけもなくドキッとする。

「……あるから、お誘いしてるんですよ?  勿論タダで連れて行けるんだけど」
 どういう理屈で異世界に行くのに『勿論』タダなんだか……。
「美味しい話には食いつくと危ない、なぁんて思ってる?」
「割と」
 素直に頷くと、レディは手をひらひらと振って『しっかりしてるけど、催眠商法とかじゃないから大丈夫よ』と笑いながら、使い込んでいるような鞄からクリアファイルを取り出す。
「これがパンフレットなんだけど……どうぞ」
 渡されたパンフレットには『異世界案内概要』と赤い色のゴシック体で書かれていて、
 双眼鏡片手にさわやかな表情でこっちに笑いかけている海外のイケメンモデルが印刷されている。
 ぺらっとパンフを開いてみると、いかにも楽しげに、それでいて想像力・好奇心をかきたてる説明文が書かれていた。
 あまり勧誘やパンフレットに詳しくないけど、なるほど、これならちょっと興味は出てくる。パンフも大事なんだねぇ。
「確かに楽しそうだったけど……料金は発生しないっていうのは、どうしてなの?」
 思ったことをぶつけると、レディはいい質問ね~と、満足そうな笑みを浮かべる。こうしてると、この人綺麗なのにな……。
「だって、我々には出資してくださる方がいますから。異世界の方々を見せるだけでいいんです」
「……?」
 変な檻にでも入れられたりするのかな。見世物なのかな。
「見せるだけ?」
「そうです。お見せするだけ。お客様には安全を保障。
 我々は異世界の出資主から満足してお金を貰える。あら簡単」
 確かに簡単そうだ。
「日帰りとかは?」
「パンフレットに入ってますでしょ?  ほらここ」
 私に見せたパンフレットを奪い取り、パラパラっとページをめくるとコース内訳などが出てくる。
……あら?  こんなにページあったっけ?  …………まぁ、いっか。
「じゃあ日帰りコース、行ってみます?」
 うーん……日帰り……も、アリっちゃアリかな、とかだんだん思ってきてしまった。タダだし。暇だし。
「ご飯とか出る?」
「モチ!  ロン!」
 ぐっ、と親指を付き立てるレディ。ご飯食べられて、異世界観光できるならいいかな。
「じゃあ、準備するからちょっと待って。カメラとかあったかな……携帯通じる?」
「通じません~」
「……だよねー」

 ぱたぱたと部屋に戻って、サイフとカメラ、とりあえず携帯を鞄に放り込む。
 いろいろ鞄も整理してないからごちゃごちゃ何かいろんなものが入ったままだったけど、
 別に関係ないか。すぐ戻ってくるし。
 あれだけ警戒してたのにもかかわらず、結局口車に乗ってるけど……
 うん、まぁ。楽しそうな事で危険がなければ問題なし。
 もう次来たら断ればいいんだし。
 そうか、世の中も月だけじゃなくて、異世界にも行ける時代になったんだねー。凄い凄い。
「準備できました?」
 突然後ろから声がかかって、くるっと振り返ったらレディが薄く微笑みながら部屋の中に入ってきていた。どこまでも遠慮を知らない人だなぁ……。
「できましたよ~。ちゃんと家に帰してね」
「はーい。じゃあゲートを開くので手を握ってください~」
 差し出された手を握ると、レディはニコリ、というかニヤリ、というか……妖艶な笑みを再び浮かべて、ブツブツと呪文みたいなものを唱え始めた。
 何言ってるのかわからないけど、多分これが重要なんだろう。

「――来たれり!  誘いたまえ!」
 声高らかにレディが手を上げると――なんと、床に敷いてある白いカーペットが青く光り始めた。
 ちょうど、夜店とかコンサートとかハンズで売ってる、ポキッて折ると光るケミカルライトみたいな感じの淡い光り方。いいね、なんかそれっぽい。
「じゃ、行きましょうか……貴女の運命、変わっちゃうわよ!」
 なんかどっかの魔法少女みたいなことを言って、レディと私は――異世界へと出発した。

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